「一言坂の戦い」は、「西上作戦」で三河国へ攻め込んだ武田信玄と、それを迎え撃つ徳川家康の間で起こった戦。 家康の予期しないタイミングで開戦したため、家康は撤退を即決。 本多忠勝の奮戦で撤退に成功するも、信玄に二俣城を取られる結果となりました。 一言坂の戦いまで 西上作戦 武田信玄は「駿河侵攻」で同盟相手の今川家を裏切ったことにより、最終的に北条家と徳川家の2家を敵に回します。 ikusa-zukan.com その後、当主の北条氏康が病死すると武田家と北条家は再び同盟を締結(甲相同盟)。 武田信玄 背後からの危険が無くなったことだし、徳川家を攻めるか 徳川家の討伐を始めることになりました。 重要拠点、二俣城の危機 この「西上作戦」と呼ばれる作戦を始動させた信玄は、総勢30000の軍を 山県昌景隊…三河国へ侵攻 秋山虎繁隊…山県隊と共に三河国へ侵攻(その後美濃で上村合戦を起こす) 武田信玄本隊