「当然」な存在 自分にとって大切な人を「空気のような存在」などと言うことがあります。いつも自分の傍にいてくれて、困った時に頼りになる存在。いなくなって初めて大切さが分かる存在。そんな、“いるのが当然”の存在は、普段は文字どおり空気のように意識することはありません。 私の場合、空気のような存在をあえて意識するようになったのは、父の死に目に会えなかったことの影響が大きいと思います。亡くなって初めて、実の親に対して自分が心を開いていなかったことに気がつきました。妻とは結婚当初から、何でも話し合える関係を築くように努力していたにも拘わらず、自分の親に対しては一歩踏み出すことができなかった。その大きな後悔により、私は一層、妻や娘たち、そして老母に対して、空気のような存在だからこそ、そのありがたみを意識するようになったのです。 それは、相手が自分と一緒にいてくれることへの感謝、当たり前の存在が、当たり