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日本と写真に関するsammyaddのブックマーク (5)

  • 稼いだ給料を突っ込んで……写真家が廃墟化する「海外神社」を撮る理由(写真多数) | 文春オンライン

    敗戦後に全て廃絶となった「海外神社」をたずねて 1945年以前、日国は大日帝国であり、現在の日国の領土の外に、植民地(台湾、樺太、朝鮮)、委任統治領(南洋群島)、傀儡国家(満洲国)、占領地(中華民国、東南アジア諸国)と様々な種類の領土をもっていた。神の子孫である天皇が統べる大日帝国は神国であり、その広大な帝国領には、あまねく神社が造られていた。 かつて大日帝国の勢力圏内に創建された神社は、敗戦後に全て廃絶となった。今わかっている海外神社の総数は約1800社以上とされるが、資料がないため、実際の数は不明である。 私は2008年より、北はロシアから南はインドネシアまで14の国・地域で、明治時代以降に創建されたおよそ200の神社跡地と神社の撮影を大判カメラと4×5フィルムで行い、昨年末『非文字資料研究叢書2 「神国」の残影 海外神社跡地写真記録 』(国書刊行会)を出版した。 かつて神社

    稼いだ給料を突っ込んで……写真家が廃墟化する「海外神社」を撮る理由(写真多数) | 文春オンライン
  • 最後の全日本選手権 別府史之 | mark

    ツール・ド・フランスを頂点とする自転車ロードレース。今年の全日選手権には、日人として初めてツール・ド・フランスを完走した2人のトップ選手が来日し参戦した。その1名、フミこと別府史之は、特別な想いでこのレースに臨んでいた。 スタート1分前の富士スピードウェイ。最前列に並んだフミの、クリアレンズのサングラスの奥にこみ上げてくるものがあった。プロ15年目。スタートラインでレース開始を待つこの瞬間を、数えきれないほど過ごしてきた。だが、こんな感情を抱えて出走するのは、初めてのことだった。 フミとユキヤ、日を代表するロードレーサー2人 2019年のサイクリングロードレース全日選手権は、富士スピードウェイで開催された。翌年の東京五輪の会場であり、またその選考に関わる大一番ということもあり、大きな注目を集めたのだが、大会最終日の男子エリートレースにおいて衆目を集めたのは2人のトップライダー。新城

    最後の全日本選手権 別府史之 | mark
  • 日本全国1147ヵ所の「道の駅」を完全制覇した男が選ぶ、絶対に訪れるべき道の駅ベスト10 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    (写真提供:浅井佑一さん) INDEX ▽①がオススメの道の駅その1:厚岸グルメパーク(北海道厚岸町) ▽②がオススメの道の駅その2:マリンドリーム能生(新潟県糸魚川市) ▽③がオススメの道の駅その3:のと千里浜(石川県羽咋市) ▽④絶景が楽しめる道の駅:舟屋の里伊根(京都府伊根町) ▽⑤温泉がオススメの道の駅:ながゆ温泉(大分県竹田市) ▽⑥アミューズメント施設がオススメの道の駅:オホーツク紋別(北海道紋別市) ▽⑦面白いお土産のある道の駅:あまるべ(兵庫県香美町) ▽⑧とにかく個性的な道の駅:富士川楽座(静岡県富士市) ▽⑨印象深いおかしな道の駅:伊東マリンタウン(静岡県伊東市) ▽⑩当は誰にも教えたくない道の駅:奄美大島住用(鹿児島県奄美市) 日全国の「道の駅」をすべて制覇した男 日全国の一般道沿いに設置された「道の駅」。 地域の情報発信や振興を目的とした、この24時間利

    日本全国1147ヵ所の「道の駅」を完全制覇した男が選ぶ、絶対に訪れるべき道の駅ベスト10 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
  • 米国人撮り鉄が写した60年前の日本(1/2ページ)

    ではまだカラーフィルムが普及していなかった昭和30年代、鉄道を中心とした日の風景を鮮明なカラー写真で記録し続けていた米国人がいた。日の鉄道に魅了されて全国を訪ね歩いた米国人撮り鉄が写した約400枚の写真を収録した「秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日」(光文社新書・1500円+税)は、普通なら白黒でしか見られない当時の日常風景を生々しくよみがえらせる。 鮮明なコダクローム著者のJ・ウォーリー・ヒギンズさんは1927年、米国ニュージャージー州生まれ。ミシガン大学で修士課程修了後、昭和31年に米軍軍属として初来日。1年間の在勤中に列車旅行を重ねたウォーリーさんはすっかり日鉄道のファンとなり、いったん帰国した後、33年に在日米空軍の軍属として念願の再来日を果たす。35年には日人女性と結婚し、日に在住して鉄道写真を撮り続けた。その後、趣味が高じて国鉄の顧問となり、現在はJR東日

    米国人撮り鉄が写した60年前の日本(1/2ページ)
  • 幕末から明治時代にかけての日本の光景が鮮明に蘇る!日下部金兵衛が手掛けた「着色写真」 : カラパイア

    日下部金兵衛という人物がいた。幕末から昭和まで、激動の時代を生き抜いた写真家で、1863年(文久3年)頃から、横浜のフェリーチェ・ベアトのスタジオで写真の着色技師として働き始め、1912年まで当時の写真家たちのネガを引き継ぎ、手作業で着色作業を行っていた。 金兵衛が仕上げた着色写真は外国人の土産用として大変人気があったそうだが、それらの写真は現在、ニューヨーク公立図書館デジタルコレクションに102枚(うち1枚は写真アルバムの表紙)が公開されており、無料でダウンロードすることができる。

    幕末から明治時代にかけての日本の光景が鮮明に蘇る!日下部金兵衛が手掛けた「着色写真」 : カラパイア
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