こういう状況を想像してみてください。 ある疑似科学的な主張が社会に流布し、信じこむ人がいて、効果のない医療方針によって疾病を悪化させる人が大勢でたとか、何か不都合なことが起きた。科学者が「疑似科学だ」と批判したところ、その主張者は「私たちは『科学的だ』と主張しているわけではない。これは非科学的ではあるけども、真理だ」と反駁した。そして、その主張を信じ込む人は減らず、やはり疾病を悪化させる人が減らないなど、不都合なことは継続したままである。 このとき、疑似科学批判は、何ができるのでしょうか? 主張者が非科学的であることを認めたから、それで満足なのでしょうか? もし、そうであるならば、疑似科学批判は社会の人々の不利益についてよりも、「科学」という名称の使い方、「科学」という縄張りについて関心があったのだといわれてもしかたないでしょう。 そうではなく、「彼らは、自ら『非科学的』だといっているが、