黒田氏は、『寛永諸家系図伝』などによれば、賤ヶ岳山麓の近江国伊香郡黒田村(現在の滋賀県長浜市木之本町黒田)の出身とされるが、定かではない[注釈 5]。 孝高の祖父・黒田重隆の代に備前国邑久郡福岡村から播磨国に入り[注釈 6]、龍野城主・赤松政秀[注釈 7]、後に守護・赤松晴政重臣で御着城(現在の姫路市東部)を中心に播磨平野に勢力を持っていた戦国大名の小寺則職・政職父子に仕えた。 小寺氏は黒田氏を高く評価し、天文14年(1545年)に重隆を姫路城代に任じた。重隆の子、黒田職隆には政職の養女を嫁がせ、小寺姓を名乗らせた。 天文15年(1546年)11月29日、孝高は黒田職隆の嫡男として、播磨国の姫路に生まれた[4]。幼名は万吉。 永禄2年(1559年)、母親を亡くし、文学に耽溺したと言われる[4]。 永禄4年(1561年)、小寺政職の近習となる。 永禄5年(1562年)、父と共に土豪を征伐し、