ブックマーク / akanisin.hatenablog.com (49)

  • 和製蛇矛の曲がりばな その2 - 三国与太噺

    ・「三国与太噺」‐丈八蛇矛の分かればな ・「三国与太噺」‐和製蛇矛の曲がりばな その1 『絵通俗三国志』によって広まってしまった三叉槍の蛇矛。 では、日の蛇矛が「曲がりはじめる」のはいつ頃なのでしょうか。 そこで注目しましたのは、『絵通俗三国志』に匹敵する影響力を持つこの作品。 ご存じ横山光輝『三国志』です。 *1 しかし作でも「蛇矛」ではなく、大薙刀になっていました。 「横光三国志」の連載開始は1971年。聞く話だと、当時は日中関係の問題から資料面で苦労されたとのことですが、逆に言えば、資料がなくては「蛇矛」が描けないほど未だ日に「蛇矛」のイメージが乏しかったことを窺わせます。 また、横光に遅れて79年から刊行された、久保田千太郎・園田光慶『三国志』においては、 *2 『絵通俗三国志』の影響と思われる「三叉槍」になっていました。 これらを見る限り、70年代に至ってもまだ「曲が

    和製蛇矛の曲がりばな その2 - 三国与太噺
  • 『三国志平話』登場人物の一覧 - 三国与太噺 season3

    『三国志平話』は『三国志演義』の原型となった物語だとされています。 しかし比較してみるとなかなか面白い違いがいっぱいあって、特にその登場人物について、『三国志平話』でしか見られない人物がいたり、また『三国志』『三国志演義』にも登場するけど全く人物像の異なるような人もいたりします。 そこで、『三国志平話』に登場する人物を、簡単な紹介とともに一覧にしました。 ・魏の人物 ・蜀漢の人物 ・呉の人物 ・その他の勢力 ・『平話』オリジナル なお『三国志平話』の訳としては、二階堂善弘先生・中川諭先生の『三国志平話』(光栄、1999)と立間祥介先生の『全相三国志平話』(潮出版社、2011)があり、今回ともに参照しました。また人物紹介に書いてあるページ数は、立間先生の訳に拠っています。 それとこちらの二階堂先生のホームページには、『三国志平話』の影印画像とテキストが公開されています。 どうぞ今年も三国

    『三国志平話』登場人物の一覧 - 三国与太噺 season3
  • 国会図書館関西館 小展示「時空をかける三国志」 - 三国与太噺 season3

    国立博物館に行ったその足で、今月8日、僕は国会図書館の関西館にて開催されていた展示「時空をかける三国志」を観に行きました。 国会図書館が所蔵する「三国志」を、一列に並べたというこの展示。殊に、普段あまり注目されることのない日の「三国志」に力をいれていた点については大変興味深かったです。小展示とは言いますが、展示品は大変充実したラインナップで、「時空をかける」と言うに恥じない、大変素晴らしい企画でした。 残念ながら展示は既に終了してしまっていますが、下記URLから展示の目録と解説を見ることができます。 http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1195909_1376.html また展示に合わせて、金文京先生による講演も開催されていました。教団さんのブログにその様子がまとめられています。 http://ameblo.jp/vitalize3k/en

    国会図書館関西館 小展示「時空をかける三国志」 - 三国与太噺 season3
  • 「貂蝉の最期」の系譜 −暫定バージョン - 三国与太噺 season3

    貂蝉って人は、もともと民間伝承出身で、しかも『三国志演義』でもって大きく取り上げられたということも加わって、作品によっていろんな人物像のバリエーションを持ってる人です。漢の忠臣であったり、呂布を慕う女性であったり、また関羽と深い仲になったり・・・ 特に僕が興味をそそられるのは、その最期に関して、日の「三国志」作品の中でもいろいろ違ってきてるってことです。 そこで、それぞれの作品の貂蝉退場を、こんな感じで、まず「長安で退場する(董卓誅殺後)」「徐州で退場する(呂布滅亡後)」「荊州で退場する(関羽敗死後)」という3つで分類してみました。 しかしなにぶん、日の「三国志」作品には疎いものでして、うろ覚えであったりするところが多いです。 ぜひちょっと、他にもご存じの「貂蝉譚」があれば教えてください。

    「貂蝉の最期」の系譜 −暫定バージョン - 三国与太噺 season3
  • 丈八蛇矛の分かればな - 三国与太噺 season3

    蛇矛(だぼう、じゃぼう)は、柄が長く、先の刃の部分が蛇のようにくねくねと曲がっているため、そう呼ばれる矛。 ―wikipedia‐「蛇矛」の項 『三国志演義』張飛の得物が「穂先の曲がりくねった長矛」であることはもう言わずもがなであろうと思います。 ところが今回の『三国志研究』に載ってます上原究一先生の「丈八蛇矛の曲がりばな」は意外な論文でした。 そもそも語源的に「蛇矛」に蛇の意味はなく、"蛇"の字が音通によるものであることは先行研究で既に指摘されるところだそうです。 それが後に"蛇"の字に引きずられる形で「蛇のように曲がりくねった刃の矛」という意味に変わったのでしょうが、そこで歴代『三国志演義』の挿絵を見てみれば、実は張飛が「曲がりくねった矛」を使っている挿絵はほとんどないんだそうです。 上原先生の結論としては、『三国志演義』における「蛇矛」とは「一丈八尺ほどの柄の長い矛」という意味であり

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  • 『三国志演義』毛宗崗本における龐徳評 - 三国与太噺 season3

    『演義』における龐徳の最期は、みじめに降伏した于禁と違い、堂々と関羽と戦い、そして曹操への忠義で死んでいった・・・とずっと思っていたのですけど、どうやら違うらしいとのウワサを最近聞きました。 そこで、現在の『演義』を編纂した毛宗崗が、この件についてどう評価をつけているかと思ったら、それはもう罵倒と皮肉の数々でした。正確でない部分があるかもしれませんが、以下に挙げられるだけを紹介します。 龐徳は彼なりの忠義を貫いて死んだのだ――漠然とそう思い込んでいた方としては、とてもびっくりしました。 馬超はすでに関羽と共にあるのだから、龐徳が関公と戦うということは、すなわち主に背くと言えないことがないだろうか? 馬騰に背いて曹操に降ったと言うのに、どうして曹操に背いて関公に降れないということがあろうか。 龐徳の死に、君子が習うものはない。 戦場で死んだのならば、ただ馬の皮でもって死骸を包むのみであり、ど

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  • じゃらじゃらしてるアレ - 三国与太噺 season3

    ←これ このかぶりものは「冕冠」と言うそうで、じゃらじゃらしてるやつを「旒」と言うそうです。たぶん。 冕冠、垂旒、前後邃延、玉藻。……冕皆廣七寸、長尺二寸、前圓後方、朱䖝裏、玄上、前垂四寸、後垂三寸、係白玉珠為十二旒、以其綬采色為組纓。三公諸侯七旒、青玉為珠。(『後漢書』輿服下) それによれば、アレの数は身分によって異なり、天子なら12、三公諸侯ならば7なのだそうです。 なので、左の劉協を見てみてください。数えにくいですけど、なるほど12です。 そして、上画像と同じ話に描かれている曹操の冕冠を見ますと、 ちゃんと劉協より少ないです。6というと『後漢書』の記述とは異なりますが、、 このように王欣太さんは、おそらく冕冠を知った上で描き分けていたんだと思います。 もう少し具体的な話をしましょう。 この画像は劉備が漢中王に封ぜられたときのものですが、 旒は7です。諸侯は「七旒」という『

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  • 出師の表 - 三国与太噺 season3

    諸君 私は漢が好きだ 諸君 私は劉氏が好きだ 諸君 私は漢王朝が大好きだ 高祖が好きだ 文帝が好きだ 武帝が好きだ 宣帝が好きだ 光武帝が好きだ 明帝が好きだ 章帝が好きだ 昭烈帝が大好きだ 蕭何が 張良が 韓信が 陳平が 訒禹が 呉漢が 馬援が 馮異が 関公が この中華に樹立したありとあらゆる漢王朝が大好きだ 垓下で兵卒たちが敵陣目掛けて唄った楚歌が好きだ 深追いした漢兵が白登山で冒頓単于にボコボコに蹂躙された時など心がおどる 戚氏をありとあらゆる責め苦で以て人豚に貶めた呂后はあんま好きじゃないです(´・ω・`) 呉も楚も七国が束になって叛旗を翻しながら周亜夫にズタズタになぎ倒された時など胸がすくような気持ちだった 高祖以来屈辱を強いられてきた漢が武帝にして遂に匈奴を討ち破った時には感動すら覚えた 董仲舒の献策で五経博士が設置されたのも最高だ 張騫が西のかた遥か大月氏まで十余年もかけて西

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  • 廖化、長寿の謎について - 三国与太噺 season3

    廖化は元黄巾賊である。 廖化は蜀漢の滅亡後に死ぬ。 黄巾の乱で20才ほどだとしたら、没年は100才! この謎に対してネットでは、以下の「三国志博物館集解」さんの様に、廖化が黄巾賊という設定が演義の創作であることを指摘、よって廖化の長寿も演義の創作にすぎないとの結論を出している所が多いと思います。 http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50017218.html でもでも、どうせ演義のことだからそんな無茶な生没年になっちゃったんでしょ?、みたいな見方はよくないと思うんです。『三国志演義』はとってもリアリティ溢れる小説なんですよ(゚∀゚) 廖化が初登場する第二十七回を見ますと、廖化が黄色の頭巾を巻いている様子(黄巾錦衣)と、関羽が廖化を黄巾賊だと見ている発言(関公尋思「此人終是黄巾餘黨,未可作伴」)とがあります。廖化黄巾賊はこのふたつの描写に

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