このお話は「子供を持つ私の気持ち、子供のいないあなたに判る?」「判って欲しいとは、いったい何を判って欲しいのか」の続きです。前回まで、人間は自分と近い環境や境遇の人に対して親近感を抱く傾向にある、そういう人同士は判り合えると期待するという話をしてきました。ところが何を判り合おうとしているのかが、実は見えていないことがあるのではないかという話になりつつあります。 だいご:うーん、そうですね。おそらくそういう人は「他人に何かを判って貰う」ということが、自分の中で上手く理解出来ていないんだと思います。 東良:ああ、先ほどAさんの例も同じですね。彼女はBさんに自分の何を訴えたいのか、実は自分の中でハッキリしてない。 だいご:ですから伝えたいのは刺激の大きさだけになる。こんなに大変なのよ、辛いのよ、あなたになんかには判らないでしょうという感じで。 編集:具体性が無いから、大きく、強く重く知らせたい、