第二次大戦の戦後処理を協議したポツダム会談の期間中、広島と長崎への原爆投下を命じたトルーマン米大統領(当時)の宿舎、通称「リトル・ホワイトハウス」前の広場に、原爆の悲劇を訴える記念碑の設置が計画され、「歴史を記憶する広場」に生まれ変わることになった。 ポツダムの市民運動団体が手掛けるプロジェクトで、16歳の時に広島で被爆した、ベルリン在住の外林秀人元ベルリン工科大教授(78)も協力。原爆投下から65年に当たる2010年までの完成を目指している。 指揮を執る緑の党主体の「ポツダム90年連合」のウウェ・フレーリヒ氏によると、ポツダムは投下から60年の05年、宿舎前の敷地を「ヒロシマ・プラッツ」(広島広場)と命名。記念碑には日独英の3カ国語で「原爆の破壊的威力で何十万人もが死亡し、人類に恐るべき悲劇をもたらした」と刻まれる予定で、広場全体のデザインは日本とドイツから公募する。 同氏は「被爆生存者