ブックマーク / opio8.com (378)

  • 2021/09/29 - おぴお

    管亥(かんがい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 管亥(かんがい) 管 亥(かん がい、生没年不詳) 黄巾党頭目の1人。 【正史】 初平2年(192年)頃、黄巾軍討伐のために都昌へ進軍して来た北海郡の孔融を逆に包囲した。 しかしこの時、孔融に母の世話をしてもらっていた太史慈が、恩を返そうと孔融の下に馳せ参じた。 太史慈は、武勇と策略で管亥の包囲を突破し、平原郡の劉備に救援を要請した。 劉備が直ちに精鋭兵3千を救援に差し向けたため、管亥軍は散り散りに潰走した。 その後、史書に名は見当たらない。 小説・【三国志演義】 勇猛な黄巾党頭目として登場し、その軍勢の規模も数万となっている。 史実通り孔融を包囲した後、その部将宗宝を数合で討ち取っている。 しかし、やはり史実通り太史慈の要請に応じた劉備軍が援軍として現われたため、管亥は関羽と一騎討ちを繰り広げる。 管亥は善戦し、数十合も渡り合うも、最期

  • 2021/09/27 - おぴお

    万彧(ばんいく) 覚える特殊能力 武将パラメーター 万彧(ばんいく) 万 彧(ばん いく、? – 272年) 呉の政治家。 万彧は何定や奚熙や陳声や張俶や岑昏らと並び、孫晧の佞臣として有名であったという。 鳳凰元年(272年)、孫晧から譴責されたため、これにショックを受けて憤死した。 一説には、建衡3年(271年)に孫晧が一族を引き連れ、突然華里に赴いたことを家臣が慌てて連れ戻した事件が起きた時、丁奉や留平とともに孫晧を見限るような発言をした。 それを聞いた孫晧は万彧達を憎むようになり、後日、留平と共に毒酒を飲ませ殺害しようとした。万彧は、毒盛りの下手人が毒の量を減らしていたため死ななかったものの、この処遇にショックを受け自殺してしまったと伝わる。 子弟たちは廬陵郡に強制移住となったという。 小説『三国志演義』では、孫晧に諫言したが聞き入れられず、逆に怒りを買い殺された臣下の一人として、名

  • 2021/09/26 - おぴお

    楊彪(ようひょう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 楊彪(ようひょう) 楊 彪(よう ひょう、142年 – 225年) 曾祖父は楊震。祖父は楊秉。父は臨晋侯楊賜。子は楊修。は袁術の父の袁逢の姉妹。 後漢の名族である弘農楊氏は、前漢初期の赤泉侯楊喜や昭帝時期の丞相であった安平侯楊敞(司馬遷の娘婿)の子孫といわれるが、『漢書』において楊敞は楊喜の子孫とされておらず、実質的に弘農楊氏は楊震に起家したと考えられている(狩野直禎の説による)。 祖父は楊震の次男であるが、三公まで昇り、父もまた重職を歴任し三公となった。そのため、累世太尉とも称され、楊彪も太尉に至ったことから、後に四世太尉といわれた。 最初、孝廉に挙げられた上で、茂才に推挙された。 さらに三公の府からも招かれたが、出仕しようとしなかった。 宦官の王甫が私腹を肥やしていることを司隷校尉の陽球に告発すると、陽球が王甫の一族を捕らえて処刑

  • 2021/09/25 - おぴお

    孫綝(そんちん) 覚える特殊能力 武将パラメーター 孫綝(そんちん) 孫 綝(そん ちん、232年 – 259年1月18日) 呉の皇族である孫氏の一族。曾祖父は孫静。祖父は孫暠。父は孫綽。叔父は孫超・孫恭。従兄は孫峻・孫憲。弟は孫拠・孫恩・孫幹・孫闓。 滕胤らを殺し兵権を握る。 呉帝孫亮を廃し、孫綝は典軍の施正の勧めにより、琅邪王孫休を帝に迎えることに決めると、孫楷と中書郎の董朝を使者とし、会稽に居住する孫休を迎えに行かせる一方、孫亮を会稽王とし将軍の孫耽に命じて護送させた。 全尚は零陵に強制移住させられ、全公主も豫章に配流となった。 孫綝は孫休が到着しない内に、自身が帝位に上る野心を抱いたが、虞汜に諌められたため思い直し、孫休を出迎えた。 孫休は張布と共に対策を協議し、張布に丁奉と共に、孫綝を朝会の席上で暗殺計画する。 孫綝の享年は28歳wikiより www.opio8.com 覚える特

  • 2021/09/24 - おぴお

  • 2021/09/23 - おぴお

    朱異(しゅい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 朱異(しゅい) 朱 異(しゅ い、? – 257年9月26日) 幼いときからその聡明さが評判であり、朱拠を感心させたという(『文士伝』)。 孫権は父が高官であることを理由に朱異を郎に取り立てた。 父の死後に騎都尉となり、父の兵を預かるようになった。 赤烏4年(241年)、朱然の指揮下で樊城攻撃に参加し、自ら献策して呂拠と共に城の外郭を壊し、その功績を称えられ偏将軍となった(芍陂の役)(「呂範伝」)。 『三国志演義』では、敗北を重ねて諸葛誕の救援に失敗し、孫綝に斬られる将軍としての出番しかない。 覚える特殊能力 【収拾・鼓舞・消火・水計・火矢・強行】 陣形 【箕形の陣】(きけいのじん) 平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかと

  • 2021/09/22 - おぴお

    俄何焼戈(がかしょうか) 覚える特殊能力 武将パラメーター 俄何焼戈(がかしょうか) 俄何焼戈(がかしょうか)は、小説『三国志演義』の羌族の武将。 正史では餓何と焼戈という二人の人物がいる(魏志「郭淮伝」)。 蜀漢の姜維が北伐を行なった際、援軍を要請された迷当大王は、俄何焼戈に兵5万を率いさせ、魏軍を攻撃する。 しかし、俄何焼戈は魏の陳泰の偽りの降伏を受け入れたため、落とし穴に誘導され敗北し、自刎するというように描かれている。 餓何(がか、? – 247年)は、中国三国時代に隴西・南安・金城・西平にいた羌族の首領の一人。「俄何」ではない。247年、焼戈・伐同・蛾遮塞・治無戴らと同時期に魏に対して蜂起し、魏の城や邑を攻撃した。 また蜀漢の姜維も、これに呼応して魏に攻め込んだ。しかし、魏の郭淮は蜀漢軍の行動を適切に読み、諸将の反対を制して、まず為翅を守る夏侯覇の援軍に赴き、予想通りその地点に現

  • 2021/09/21 - おぴお

    張休(ちょうきゅう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 張休(ちょうきゅう) 張 休(ちょう きゅう、205年 – 245年) 父は張昭。兄は張承。『三国志』「張昭伝」に付伝されている。 若くして孫権に仕えた。張休が20歳頃の時、孫権が呉王になったため、その太子となった孫登の側近として、諸葛恪・顧譚・陳表と共に採り立てられた(孫権が即位し、孫登が皇太子になると、彼等4人は太子四友と呼ばれた(「呉主五子伝」)。 張休は父から『漢書』の講義を受けていたため、孫権に見込まれて孫登に『漢書」を講義するよう要請された。 『呉書』によると、張休の発言が全て筋道立っていたため、孫登は張休に対して君臣の礼を超えた友誼を示したという。 孫権はその文章が優れていたため、父の張昭に見せて張休の才能を褒め称えた。 父が236年に没した時、兄が既に功績を立て別に爵位を得ていたので、父の爵位を継承した。 孫登が死去す

  • 2021/09/20 - おぴお

    李鵬(りほう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 李鵬(りほう) 李鵬(?〜?) 魏将、司馬望の配下として長城を守備する。 蜀との戦いで同僚の王真を救おうとするが、蜀将・傅僉の鉄扇で殴られ落馬し死亡した。 傅僉は王真を生け捕り、李鵬を討ち取り、鄧艾も破っている。 www.opio8.com www.opio8.com 覚える特殊能力 【火計・同討・収拾・鼓舞・消火・伏兵】 陣形 【箕形の陣】(きけいのじん) 平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。 関連兵器なし 攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2 【魚鱗の陣】 平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度

  • 2021/09/19 - おぴお

    司馬懿(しばい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 司馬懿(しばい) 司馬 懿(しば い、179年 – 251年9月7日) 司馬防の次男で、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王司馬卬の12世孫にあたる。 司馬氏は代々尚書などの高官を輩出した名門の家柄で、司馬懿自身幼い頃から厳格な家風の下に育った。 兄に司馬朗(伯達)が、弟に司馬孚(叔達)・司馬馗(中国語版)(季達)・司馬恂(中国語版)(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)らがいる。 司馬家の8人の男子は字に全て「達」が付き、聡明な者ぞろいであることから「司馬八達」と呼ばれた(ただ単に八人の達たちということでなく、「八人の達人」という意味合いにかけている)。 に張春華、息子に司馬師・司馬昭らが居る。 司馬懿は若年の頃から聡明で、博覧強記・才気煥発で知られ、優秀な人物が揃っていた司馬八達の中でも最も優れた人物といわれていた。

  • 2021/09/18 - おぴお

    孫韶(そんしょう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 孫韶(そんしょう) 孫 韶(そん しょう、188年 – 241年) 222年に曹休が20余り方面軍を率いて洞口に攻めてきた時には、孫韶は呉の将たちと肩を並べて呂範の配下で戦い、一時は悪天候で呉軍に劣勢に立たされた。 後に呂範が残って指揮を続け、残った諸将達と共に魏軍を反撃して破り、勝利に乗じて曹休・張遼などを打ち破ると、魏軍を撃退した。 241年に死去。wikiより 覚える特殊能力 【混乱・伏兵・水計・火矢・陣立・反計】 陣形 【鈎行の陣】(こうこうの陣) 山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。 連弩  【無】 攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2 連弩  【有】

  • 2021/09/17 - おぴお

    郭奕(かくえき) 覚える特殊能力 武将パラメーター 郭奕(かくえき) 郭 奕(かく えき、生没年不詳) 魏の重臣。字は伯益。父は郭嘉。子は郭深・郭敞。孫は郭猟。 父ほどではないが物事の理解が早く、知識も豊富であったと言われている。 ただし、郭奕と親交のあった王昶が、子や兄の子に残した訓戒によると「好きな人は山を仰ぎ見るように徹底して尊敬するが、嫌いな人は草を見下すように徹底して軽んじる」という度量の狭さもあったという。 王昶は、郭奕の態度を取ってはいけない例として挙げている。 父同様に若死にしたという。 小説『三国志演義』では父の死後、その死を大いに悲しんだ曹操が当時幼かった郭奕を引き取って養育した、という場面でしか出てこない。wikiより 覚える特殊能力 【火計・混乱・同討・収拾・速攻・陣立】 陣形 【鶴翼の陣】(かくよく) 平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力な

  • 2021/09/16 - おぴお

    楊秋(ようしゅう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 楊秋(ようしゅう) 楊 秋(よう しゅう、生没年不詳) 馬超・韓遂が曹操に敵対したとき、共に蜂起した軍閥の一人。 211年10月、夏侯淵・張郃に降伏し、以前と同じ爵位を与えられた。 曹丕が献帝より禅譲を受け魏の時代になり、郭淮が曹真の長史として征羌護軍を兼ねると、楊秋は張郃と共にその監督下に入ったという。 小説『三国志演義』では、韓遂の「手下八部」の武将の一人として登場する。 馬超と韓遂が仲違いした際には、韓遂の降参の使者として曹操の下に参じ、列侯に採り立てられている。 なお、演義で登場する「手下八部」(他の7名は侯選・張横・程銀・成宜・李堪・馬玩・梁興)は、正史にその名が登場する涼州の独立した軍閥の者達である。 「手下八部」とは 旗八旗(はたもとはっき)は、小説『三国志演義』に登場する西涼の群雄・韓遂配下の「手下八部」と称される勇将

  • 2021/09/15 - おぴお

    楊鋒(ようほう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 楊鋒(ようほう) 楊 鋒(よう ほう)は、小説『三国志演義』に登場する架空の人物。 南蛮の銀冶洞(ぎんやどう)二十一洞の洞主。 諸葛亮に降り、孟獲、孟優、朶思大王のもとに偽って援軍として訪ねてくる。 喜んだ孟獲により酒宴を催されるが、宴に何も無いのは興ざめだと、楊鋒は連れて来た同族の女達に剣舞を踊らせる。 やがて孟獲達が酒に酔い油断し始めると、楊鋒は息子達と杯を献上する振りをして三人の側に近づき捕縛してしまう。 そして女達に宴席場を包囲させ、彼らの身柄を確保した後に、諸葛亮に引き渡すのである。 これにより朶思大王の禿竜洞は陥落する。wikiより 覚える特殊能力 【火計・同討・収拾・消火・伏兵・乱射】 陣形 【錐行の陣】 平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向

  • 2021/09/14 - おぴお

    傅嬰(ふえい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 傅嬰(ふえい) 傅 嬰(ふ えい、生没年不詳) 主君である孫翊が204年に暗殺される。 犯人であろう、媛覧(キラン)と戴員が辺洪で 戴員は罪を辺洪になすりつけ、辺洪は殺され(戴員の裏切り) これを、徐元・孫高らと共に媛覧(キラン)と戴員を斬り、主君(孫翊)の仇を討った。 覚える特殊能力 【混乱・同討・伏兵・激励・水計・速攻】 陣形 【偃月の陣】(えんげつ) 平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。 関連兵器はなし 攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2 【水陣】(すいじん) 水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼

  • 2021/09/13 - おぴお

    王修(おうしゅう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 王修(おうしゅう) 王 修(おう しゅう、生没年不詳) 王修は若いころの王基・高柔らの才能を見抜いたため、人を見る目が優れていると賞賛された。 建安21年(216年)、大司農兼郎中令へ昇進したが、在職中に死去した。 小説『三国志演義』でも登場する。袁尚と和睦するよう袁譚に諫言した場面では、その怒りを買って退けられているが、それ以降は史実通りの展開となっている。 wikiより 覚える特殊能力 【火計・収拾・落石・伏兵・激励・反計】 陣形 【魚鱗の陣】 平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。 関連兵器なし 攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2 【偃月の陣】(えんげつ) 平地型の陣形

  • 2021/09/12 - おぴお

    朱桓(しゅかん) 覚える特殊能力 武将パラメーター 朱桓(しゅかん) 朱 桓(しゅ かん、177年 – 238年) 孫権が将軍となったとき、その幕府の側仕えとしてとりたてられた。のち、余姚県令となった。県において疫病と飢饉が蔓延し、品の物価も高騰していたため、有能な役人を選抜して民の病気の治療や施しを行ったため、士や民の信望を集めた。 濡須城の防備では、朱桓は「戦というものは兵力ではなく指揮官の質によって勝敗が決まるものだ。俺と曹丕では俺の方が遥かに優れているし、まして曹丕の部将の曹仁など問題にならない。それに曹仁の軍は遠征で疲弊しているし、地の利を得ているのはこちらの方だ」などと言って兵を叱咤激励した。 赤烏元年(238年)、62歳で病死した。朱桓が死去したとき、配下の兵士の多くが嘆き悲しんだと言われている。 小説『三国志演義』では、呉の若手の武将の一人として登場する(27歳としている

  • 2021/09/11 - おぴお

    程秉(ていへい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 程秉(ていへい) 程 秉(てい へい、生没年不詳) 顔グラを見ると武将と思うが呉の学者・政治家。 鄭玄に師事して学問を学び、乱を逃れて交州の士燮の下に身を寄せた。 交阯には劉熙がいたため、ここで学識を深め五経に通じるようになった。 また士燮から長史に任ぜられた。 やがて、学者としての評判を聞いた呉の孫権から招聘されてその幕僚となり、太子孫登の教育係(太子太傅)を任された。 『周易摘』・『尚書駮』・『論語弼』などの3万字余りの著作を残した。 陳寿は「厳畯・闞沢と並んで一代の学者であった」と評している。 小説『三国志演義』では、孫権が呉の国主となって集めた賢人の一人として登場する。赤壁の戦いの時は曹操への降伏を主張し、諸葛亮と論戦するがあっけなく敗れる。 その後、劉備が関羽の仇討ちのため呉に攻め込んできた時は、孫権の使いとして派遣され、張飛を

  • 2021/09/10 - おぴお

    張虎(ちょうこ) 覚える特殊能力 武将パラメーター 張虎(ちょうこ) 張虎(ちょう こ)(生没年不明) 張虎という名前は、後漢末の人物と三国時代の人物が存在していて、今回は三国時代の張虎とついて話ていきます。 父は張遼。子は張統。父の後を次いで晋陽侯に封ぜられた。後に偏将軍にまで昇進。 没後は子が爵位を継いだ。 小説『三国志演義』では、楽進の子【楽綝】とペアで描かれ、蜀漢の北伐で常に蜀軍に敗れている。 更に、蜀軍に捕らえられた時には裸にされて陣に戻されるなど、諸葛亮に翻弄される凡将の一人として描かれている。 また、司馬懿指揮下の将軍として公孫淵討伐でも活躍する。wikiより 西暦231年 祁山の戦いで【蜀】諸葛亮VS【魏】司馬懿で、 戴陸(たいりょう)張虎、楽綝で司馬懿の命令通りに孔明の陣形に突撃するも追い返され、司馬懿の軍を撃退する。 このとき蜀が追撃出来なかったのは、李厳の甥の苟 安(

  • 2021/09/09 - おぴお

    夏侯恵(かこうけい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 夏侯恵(かこうけい) 夏侯 恵(かこう けい、生没年不詳) 父は夏侯淵。兄は夏侯衡・夏侯覇・夏侯称・夏侯威・夏侯栄。弟は夏侯和。 『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」等に記述がある。 幼少のときから才能と学問に優れ、賞讃を受けていた。また【奏議】に優れていたともいう 【奏議】(君主に意見を申しあげること) 没年は不明だが、37歳で死去した。 小説『三国志演義』では字を雅権とされている。wikiより 覚える特殊能力 【火計・同討・収拾・消火・乱射・遠矢】 陣形 【鶴翼の陣】(かくよく) 平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。 関連兵器なし 攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2 【方円の陣】(ほうえ