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ブックマーク / note.com (133)

  • クスろのルンルンブイブイラジオ vol.1|クスろ

    \クスろのルンルンブイブイラジオ vol.1/ クスろのルンルンブイブイラジオのvol.1(2018年11月26日配信)です。 今回のテーマは、 【ク】クスろ 【ス】好きなところ 【ろ】炉端 の3。 今回のクスろメンバーは、 ちーやん(名塚ちひろ):副代表 こうすけ(片野こうすけ):尻拭い かしこ(須藤かしこ):イベント の3名です。 ラジオの公式ハッシュタグは #ルンブイラジオ 皆様からのコメント、お便りもお待ちしております! クスろのTwitterアカウント https://twitter.com/Kusuro946 へのリプライ、DMからどうぞ!

    クスろのルンルンブイブイラジオ vol.1|クスろ
  • パンクロック、気持ちの浮き沈みと人生について|さのかずや

  • 【完全ガイド】会社をやめてフリーランスを開業する人が、再就職手当をもらうまで|さのかずや

    この記事は何この春に会社員をやめて、フリーランスプロジェクトマネジメント/新規事業企画/リサーチなどをやっている さのかずや @sanokazuya0306 が、再就職手当をもらうまでにいろいろとがんばり、無事にもらえる額全部もらえたので、どうせみんな同じなら共有したほうがええやろ!と思い、重い腰を上げてまとめているものです。推敲含めて4時間ぐらいかけて書きました。 【2019/07/19】書きましたが書きましたし、基的には法律や規定の範囲内で問題なく進めてきた認識ですが、見方によっては「再就職手当をもらうことを推進している」というのが悪く見えてしまう可能性があるので、ちょっと良くないかもしれないと思い始めてきました。ので、一旦公開を停止します。 もしご興味があれば sanokazuya0306@gmail.com か、Twitter @sanokazuya0306 までお問い合わせ頂

    【完全ガイド】会社をやめてフリーランスを開業する人が、再就職手当をもらうまで|さのかずや
  • メディア取材を受ける個人に、知っておいてほしいこと|RYOKO

    先ほどこんなツイートをしました。最近はインフルエンサーみたいな人が増えているので、そういった「影響力のある個人」が取材先として選ばれるケースも出てきています。 でも同時によく聞くようになったのが、 「取材に応じたけど、言っていないことを書かれた!」 「原稿確認もなく掲載された!」 「掲載後に修正をお願いしたら、無言で記事消された!」 みたいな不満の声。SNSで声を上げるのが簡単になったので、メディア側にもすぐに批判が届きます。難しい問題ですが、ある程度は個人の「取材受けリテラシー」を上げることで解決するんじゃないかなと思っています。 私はずっとPRコンサルや広報などをやってきて、過去にアレンジした取材は数百件にものぼります。テレビ番組から零細WEBメディアまで何でもやってきたので、多少は役に立つことが言えるかなーと思い、個人でメディアを取材を受ける人に知っておいてほしいことを書くことにしま

    メディア取材を受ける個人に、知っておいてほしいこと|RYOKO
  • 博報堂辞めて1ヶ月経ったので、まずは総合系アドマーケッターの「事業会社転職の壁」をまとめてみた。|Kopan|note

    noteです。 2018年9月末で新卒から約6年働いていた博報堂を退職しました。 ◆つーか、あんた誰よ?何してたの? こぱんと言います。 ダイビングと太鼓が趣味です。 簡単にキャリア説明すると、在籍中はずーっとマーケティング職(ストラテジックプラニング職と呼ばれている)でした。 基的なブランドのSTP開発に始まり、プロモーション企画・クリエイティブ開発までを約3年。 その後は会社内出稿でメディア業務が増え、新規事業立上げ・運用と、マス×デジタルの統合マーケティング設計、バイイング支援をガッツリやらせていただき、今はアパレル会社でデジタルトランスフォーメーションおじさんをやってます。 (カタカナ多いですね) ◆一応聞いてやるよ、辞めた経緯。 さっくり言えば、 「"マーケティング"は、企業の売上や利益を作れる(レバレッジする)」 という価値をもう一度信じたかったから、っていう感じです。 色

    博報堂辞めて1ヶ月経ったので、まずは総合系アドマーケッターの「事業会社転職の壁」をまとめてみた。|Kopan|note
  • #道東ラジオ その1|さのかずや

  • 論文公開note|RuinDig|note

    ご自身の学術論文(学士論文/卒業論文・修士論文・博士論文など)をご自身のnoteに公開している記事をまとめます。全文・一部・PDFのURL掲載・データベースのURL掲載など形式は… もっと読む

    論文公開note|RuinDig|note
  • Wasei Salon透明化プロジェクト No.4 阿部光平|Wasei Salon

    こんにちは、Wasei Salonメンバーの早川大輝です。 Wasei Salonメンバーの「好きなもの」や「大切にしていること」を紹介する "透明化プロジェクト" の第四弾として、今回はフリーライターとして紙媒体を中心に活動しながら、地元である函館のローカルメディア『IN&OUT -ハコダテとヒト-』を運営する阿部光平さんに取材しました。 プロジェクトの概要や立ち上がりの経緯については、「透明化プロジェクト」発起人である小林やばこさんの書いたnoteをご覧ください。 「透明化プロジェクトを始めます。」 また、これまでの記事はこちらを。 「Wasei Salon透明化プロジェクト No.1 長田涼」 「Wasei Salon透明化プロジェクト No.2 金井塚悠生」 「Wasei Salon透明化プロジェクト No.3 竹田匡宏」 共感を求めにいくスタートから表現は生まれない 阿部 17歳

    Wasei Salon透明化プロジェクト No.4 阿部光平|Wasei Salon
  • 『ほぼ日の塾』で思い出したパンクへの憧れ。|阿部光平

    文章を書く仕事を始めて10年。 僕は、毎日毎日たくさんの文章を書いていた。 しかし、あるときを境にパタッと書けなくなってしまった。 原稿を書いては消し、書いては消し、終いには「俺が今まで書いてたのは何だったんだろう…」と落ち込むような始末。 原因はハッキリとわかっていた。 『ほぼ日の塾』に通ったためである。 ※ その頃、僕は、ありがたいことに様々な媒体で文章を書かせてもらっていた。 自分が携わったが地元のコンビニに並んでいるのを見たときは、とても誇らしい気持ちになったし、高校生の頃に愛読していた雑誌で書けることになったときは嬉しすぎて飛び跳ねて、ドアの上枠に頭をぶつけたけど、ちっとも痛くなかった。 そうやって様々な媒体で仕事をさせてもらうことが、当時は書くことのモチベーションにもなっていた。 経験というのは続けてさえいれば蓄積されていくもので、10年も文章の仕事をしていると、どんなテーマ

    『ほぼ日の塾』で思い出したパンクへの憧れ。|阿部光平
  • 無題|さのかずや

  • あの頃ライブハウスにいた人は、今はクラブにいる|Shotaro Shiga

    言い過ぎかな?って思うけど。 2012年に大学に入学してから、しばらくは大小問わずライブハウスに通っていた。バンド名を変える前の[Champagne]やBIGMAMA、せっかく名古屋にいるからってcoldrainはライブある度に行ってたし、数年後に4つ打ち邦ロックの代名詞みたいになったKEYTALKは東京、大阪も行くとかそれなりにいわゆるキッズみたいなことをやってた。 KEYTALKがメジャーデビューするあたり、2015年から2016年にかけてやっと洋楽を真面目に聴くようになって、くるりやキリンジも今更聴きだして、なんかロキノン系の客のノリって違うなーと思い出した頃にFIX!!と出会って、それこそロックイベントからだけど夜遊びするようになって。 時期を同じくしてsuchmosやヨギー、オーサムらシティポップと括られる音楽の台頭が来て、ちょこちょこ聴いていたMaltine Records出身

    あの頃ライブハウスにいた人は、今はクラブにいる|Shotaro Shiga
  • オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話|Rui Ueyama|note

    僕の仕事をひとに説明するときに、「Google仕事をしているけどオープンソースなのでGoogleのプロダクトを作っているわけではないし、むしろアップルとかソニーの人と一緒に仕事している」と言うと、「???」という反応になることが多いので、僕はこういう仕事をしているんだよということをここでちょっと説明してみようと思います。 (2016年の僕のFacebookの投稿の転載です。) 僕のいるチームはLanguage Platform Teamというところで、プログラミング言語や開発ツールの開発をしています。LPTの中にもいろいろ細かいチームが分かれているのですが、僕がいるのはC++チームで、Googleで主要開発言語になっているC++言語の開発環境を担当しています。 C++で開発をするときには、C++ツールチェインと呼ばれる一連のツールを使います。ツールチェインの一番大きなコンポーネントは、人

    オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話|Rui Ueyama|note
  • 明日人工中絶手術です。でももう私限界です。【遺言。】|バブリー

    バブリーです。 前回のnote多くの友人や関係者から、 応援の言葉や励ましなどいただきました。 当にありがとうございます。 多くの言葉に救われました。 妊娠10週目になりました。妊娠10週目になりました。 手術できるリミットが迫り、私はようやく「産まない」決意しました。 病院に行ったものの弁護士を通じて、相手方に対して病院への付き添いをお願いしました。「学校のスケジュールが.....」と言われたものの「そこはどうにかお願いします」と頭を下げました。 結果付き添いには来てくれて、手術の説明を一緒に聞いてくれました。 私以前、盲腸の手術を失敗されているため、手術にはかなりトラウマがあり....それを察知したのか、先生が「あなた(元彼)がちゃんと聞いてなさい」と指示をされていました。 病院から出ると私の母がいました。 患者一人につき付き添いが一人というルールだったらしく、母は近くの喫茶店で待っ

    明日人工中絶手術です。でももう私限界です。【遺言。】|バブリー
  • 妻と別居することになりました。 (そして僕の仲間になってください!その52)|タナカユウゴ|note

    おはようございます。 冷たい秋風が心にもしみわたる、しみじみとした季節を迎えました。 今日のnoteは皆さまへのご報告となります。 タイトルにて薄々感じとっていただけたかとは思いますが。 このたび、と別居することになりました。 札幌で出会ったのが4年前。僕の転勤で千葉の西船橋、その後転職北海道深川市へ。 とはいつも一緒にいることが当たり前の生活を過ごしてきたので、まさか離れて暮らすことになるとは思いもよりませんでした。 まだ身内の一部にしか伝えておらず、友人や僕らのことを知ってくださっている方の中には驚いてしまった方もいるかも知れません。 このような形でお伝えすることになりましたが、今後ともお互いを尊敬し合い成長していく所存でございますので、何卒よろしくお願いいたします。 . . . . . . 前置きはこの辺にて。 は何処へ…?そうなんです、と別居することになりました! と言い

    妻と別居することになりました。 (そして僕の仲間になってください!その52)|タナカユウゴ|note
  • 起業家が3ヶ月で5,000人フォロワーを増やした10のコツ|檜垣雄介 / NICOLY.inc|note

    【追記:2018/10/14】40名の方にご購入頂きました! 【追記:2018/10/15】90名の方にご購入頂きました! 【追記:2018/10/16】140名の方にご購入頂きました! こんにちは!ニコリーひがき(@yusukehigaki22)です。 ツイッターを初めて早3ヶ月・・。 \\フォロワーが5,000人ほど増えました!// 3ヶ月の推移をみるとこんな感じ。 数百人以上のツイッターの分析をしているけいすけさんにも僕のtwitterのアナリティクスデータを渡して分析してもらったのですが、 「かなりのオールラウンダー」 「あんまりアドバイスする必要無いくらいすごい」 と評価して頂きました(嬉) 当然ですが僕もツイッターを再開したときはフォロワーが600人しかいませんでした。 そこで色々試行錯誤した結果、再現性のある形で5,000人まで持っていくことができたのでこちらをnoteにまと

    起業家が3ヶ月で5,000人フォロワーを増やした10のコツ|檜垣雄介 / NICOLY.inc|note
  • デザイン思考なんて合意形成でしかねえよバーカ|さのかずや

  • 37歳理論|せしも

    37歳理論。それは、最近レトリカ民の一部で流行している謎の年齢カウント手法だ。レトリカ西東京支部のジョージ(カバー画像に映っている男性)が、この奇妙な算数を提案した。 やり方はしごく簡単である。37歳以下の人間が、いますぐ自分の年齢を37歳にすること、そして、そのまま37歳までずっと37歳に据え置くことだ。 ──このジョージという男、37歳になる以前は29歳だった。19歳のとき、彼は自分の人生が今後10年ほとんど変わらないであろうと悟り、次の瞬間、ただちに自らを10年後にワープさせた。先のことを思い悩みながら毎日過ごすくらいなら、いっそ先にいってしまえと考えたのだろう。 では、29歳を過ぎたら? 30歳になったジョージは再びワープした。そう、37歳に。なぜ前回より短めの未来に飛んだのか。それは人から聞いていないのでわからない。とにかく今度は時計を7年分早回ししたのである。ほとんどカート・

    37歳理論|せしも
  • いちじくいち2018を終えて。クラファンと退場有料というチャレンジ。|藤本智士(Re:S)

    今年も怒涛の二日間が終わった。台風24号が過ぎ去って安心していたら、まさか秋田に進路をむけた25号が発生。なんだか不意打ちのような台風にどぎまぎしたけれど、そんな心配をよそに初日は見事な快晴。二日目は直撃をおそれていた台風が温帯低気圧に変化してくれて、結果今年も5000人を超えるお客さんが来てくれた。当に有難い。 今年は開催前にいろんなところで話していたんだけれど、動員を減らすというのが目標だった。それを言う度に「こいつは何を言ってるんだ?」という顔をされたけど、僕は初回の動員5000人が、昨年6000人に増えたときに感じた、「次は7000人だ!」みたいな、質とは違う無闇な増加思考にNOと言いたかったのだ。 なので、結果的に昨年より1000人ほど動員が減ったのは、無事何事もなかったから言えることではあるけれど、台風接近のおかげだったなぁなんて思ったりもする。これでひとまず「目指せ一万人

    いちじくいち2018を終えて。クラファンと退場有料というチャレンジ。|藤本智士(Re:S)
  • 華僑心理学No.8 なぜ、中国人はパクるのか?|こうみく|note

    こんにちは、こうみくです! 先日は、名創優品(通称メイソウ)がテンセント社から10億元(170億円)出資を受けたことで話題になりました。 メイソウは、「無印良品、ダイソー、ユニクロを足して3で割った中国ブランドの雑貨屋さん」と言われており、偽ダイソーと揶揄されたりもしました。 東南アジアや中国をメインに展開する、自称日ブランドのメイソウを見て、「メイソウと言えば、中国人がつくった安かれ悪かれのパクリブランドでしょ」とあきれた日人の声を、たくさん聞きました。中には、「なぜ、中国人は、そんなにパクるのか?」、「抵抗感や恥じらいはないのか」という声もあります。 これに対する回答としては、発展途上の立場であること、日も戦後はドイツアメリカの模倣をおこなって製造業で発展をとげたように、プロセスの一環として仕方がないことだという解釈が主流だと思います。しかし、それ以上に、日人と中国人の価値観

    華僑心理学No.8 なぜ、中国人はパクるのか?|こうみく|note
  • 暇でしょうがない原体験|児玉光史

    自分の原体験は、圧倒的に暇だった幼少期なのではないか。小学校時代は、圧倒的に暇だった。友達はあんまりいなかったし、数少ない友達も家の方向が違っていていつも一人で石を蹴りながら帰っていた。とにかくくそ暇だった。 自宅に戻っても、周りに友達はいないし、親は農作業やってるし、テレビはニュースか大相撲しかやってないし、お店もないし、宿題はそっこうでおわるし、もちろん塾もないから塾にもいかないし、田んぼか山か畑しかなかった。手伝いは嫌いだったのでほとんどやらなかった。 暇すぎて暇すぎてしょうがなかった。「暇だー」「暇だー」が口癖だった。だから自分で一人で遊べる遊びをつくって、ルールをつくって、黙々とやり続けるしかなかった。将棋も自分vs自分だった。自分で自分が面白がれそうなものを試してみて、面白がれるルールに変更して、ということをやっていた。(今思えば) この原体験が、今、会社をやっていることにつな

    暇でしょうがない原体験|児玉光史