午前7時20分起床。浅草はくもり。 よりよい自分をつねに求めるという向上心は、実のところ高次の欲望であり、それを持続できるかどうかは自明ではない。 この昇華されたリビドーである高次の欲望のことをスティグレールは「象徴的なもの」と呼ぶのだが、それは育み、培わねばならないものなのだ。 ところがその教養のための時間を、目先の利益のみを追求する現代のハイパーインダストリアル社会は、構造的に破壊してしまう。 技術は発展していくのに、「私」や「われわれ」を向上させたいという動機付けの方が失われていくのである。 なぜなら、目下、感性や認知に関わる最先端の技術のほとんどは、すぐに結論を出そうと急ぐ意識の怠慢さを助長させ、人々の行動を画一化する方向で専ら使われているからである。 象徴の貧困、パトリの衰退、欲望の喪失 さて、上記のテクストは私のものではない。 これは、昨年の法大ECでも引用した、ベルナール・ス