2月11日が「建国記念の日」として制定されたときには相当の議論がありました。 戦前はこの日を「紀元節」として盛大に祝い、明治憲法の発布もこの日を選んで行われたわけですが、そもそも何故2月11日なのかといえば、西暦720年に完成した日本最古の歴史書である「日本書紀」に記された神武天皇即位の日(元日)を、グレゴリオ暦に換算すると西暦紀元前660年の2月11日に当たるからという理由からでした。 日本で文字が常用されるようになったのは西暦600年前後であり、紀元前の話となると「各地での伝承をつなぎ合わせたもの」でしかありませんから、そのような曖昧なものを「建国を記念する日」のベースとすることが果たしてよいのかという議論は、「史学会」などを中心にその時にもありましたし、それ以前の問題として、社会党などの野党は「戦前の紀元節の復活は、あらゆる面で戦前の体制への復帰を企てる自民党の画策の一環である」とし
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