纒向遺跡で発掘された特殊器台の破片。箸墓古墳や邪馬台国に結びつく手がかりとなった(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館提供)邪馬台国(やまたいこく)は畿内(奈良県)か九州か-。江戸時代の政治家で儒学者、新井白石(あらい・はくせき)以来の古代史論争の謎を説くカギが、女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓古墳(奈良県桜井市)と、その北に広がる纒向(まきむく)遺跡(同)だ。平成21年にこの遺跡で見つかった大型建物跡は「卑弥呼の宮殿か」と注目を集め、畿内説が一気に高まった。邪馬台国を語るのに欠かせない2つの遺跡を結びつけたのは、50年近く前、一人の研究者が拾い上げた手のひらサイズの土器の破片だった。 発掘のきっかけは炭鉱閉鎖昭和46年、ある開発計画が桜井市で持ち上がった。炭鉱離職者向けの雇用促進住宅の建設。当時、国のエネルギー政策が石炭から石油に転換し、九州などの炭鉱が次々と閉鎖。職を失った炭鉱