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ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (6)

  • サンデルと白饅頭、権威主義への迎合、観念の分断、あるいはシッキーについて - メロンダウト

    以下記事を読んで書籍を購入したのですが、読む前に所感らしきものを書いておきたい。すこしだけ長いです(6000文字ぐらい) www.hayakawabooks.com 前提として日アメリカの状況が違うことは留保しておくとしても、リベラル的価値観が能力主義、学歴偏重主義に依存しているのは共通するものなのでしょう。 資主義社会において唯一残された「振り分け機能」が能力及び知性であることは疑いようがなく、知性や能力(に紐づく学歴や実績)によって或るポジションが与えられるのは適正だという正義によってこの社会は成り立っている。もちろんこれが正義なのか暴力なのかは慎重に考える必要があり、それを議論してるのがリベラルコミュニタリアン論争なのでしょうが、学術的なそれとは別にメリトクラシー(能力主義)が現実的には「単に差別として機能しているよね」と言えなくもない。あるいは、仮にその振り分けが「資主義社

    sasashin
    sasashin 2021/05/18
  • なぜハラスメントは存在しないのか - メロンダウト

    ハラスメントについて自分の考えをまとめておこうと思う。 p-shirokuma.hatenadiary.com 面白かった。読了したので今度なんか書きます anond.hatelabo.jp たたかれすぎ笑 ・なぜセクハラは存在しないのか ハラスメント全般について言えることだけどなんでこんなダブルバインドな議論になってるのかは過程を問題視しているようで結果しか問題になっていないからに見える。 最近、キングダムの作者である原泰久さんと小島瑠璃子さんが交際しているというニュースがあったけれどこれも形式的に見ればキャスティング権を握る原作者とタレントの交際でセクハラと言えなくもない。年齢差も20歳ほどある。仕事上の取引関係でもある以上、形式的に見ればセクハラだと言えてしまうが問題にはなっていない。原さんは直前に離婚していて交際をはじめたため不倫スキャンダルにもなっていない。 キャスティング権を

    なぜハラスメントは存在しないのか - メロンダウト
    sasashin
    sasashin 2020/08/06
  • 個人主義が福祉をぶっ壊している - メロンダウト

    個人が個人のまま生活できる職種が少なくなっている。 いわゆる落伍者と呼ばれるようななんの能力もない人達がバイタリティーひとつで生活を立て直すことが難しくなっている。 例えば個人の小売業は大手コンビニが出てきてビジネスとして成立しなくなった。サラリーマンをやっていてなんらかの形で仕事をやめ、再就職するにも能力がなく年齢の問題もある人が退職金で小売業をやって生活することは不可能になった。 退職金がない人は金融機関からお金を借りて店を始めるなどしていたはずだがそれも総量規制で難しくなった。その代わりに出てきたのが公庫であるが公庫は職歴や事業経験などが重視されるため何も持たない人が自己資金0で審査に通ることは難しい。クラウドファンディングもただの普通のお店に投資しようとする人は少ない。 その結果、以前は地方の町の小売業を営んでいたどこにでもいる気の良いだけが取り柄のおっちゃんは大手コンビニのフラン

    個人主義が福祉をぶっ壊している - メロンダウト
  • 虐待の構造めいた時代論 - メロンダウト

    ある時代に求められていた態度はある時代には糾弾されうる。この記事を見て自分の父親のことを思い出した。 yuhka-uno.hatenablog.com 父も母も団塊の世代ど真ん中で社会的にはモデルケースのような家庭だと言っていいと思う。父は終身雇用のサラリーマン、母は僕がちいさいころは専業主婦で手がかからなくなるとたまにパートに出ていた。 大人になって親の弱さに気づくことはよくある話だ。自分の父も例外ではなかった。精神的虐待と言えばそうだったのかもしれない。中学校から帰宅したら父が一人で勝手に怒りだしたのかPS2を庭に捨てられていたこともあった。また、理由も覚えていないような理由で冬に家の前に2時間立たされたこともあった。父はそういう人だった。文字にすれば虐待と読まれるかもしれないが僕はそれでも父は父として尊敬していたししている。どうということはない。父はただそういう権威、男性性が重要な時

    虐待の構造めいた時代論 - メロンダウト
  • 内容のないコミュニケーションを馬鹿にしている人にも理由がある - メロンダウト

    シロクマ先生の論旨に関しては同意なのだがそれはリアルな現場においての話に限定されると感じる。 内容のないコミュニケーションはおもに対人間が前提とされているように読んでいて思った。 p-shirokuma.hatenadiary.com 違和感を覚えたのは内容のないコミュニケーションをバカにしている人はなぜ内容のないコミュニケーションを馬鹿にする思考に至ったのかという点だった。 単純に思慮に欠ける人間だと断定してはき捨てれば簡単ですけどそうではないと僕は考えているんですよね。むしろ僕は内容のないコミュニケーションを取らないという立場はすごく理解できる。いっぽうで対人間に限定すれば内容のないコミュニケーションも大切だとも理解している。 コミュニケーションといっても対人間だけではなくてこうしてインターネットに書くことも映画を見たり小説を読んだり音楽を聴くのも広義のコミュニケーションと捉えられる。

    内容のないコミュニケーションを馬鹿にしている人にも理由がある - メロンダウト
  • 長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか - メロンダウト

    またはてなのトップページにあがってきた長谷川氏の気論音論というブログタイトルを眺めていた。なんだか異様なそのブログタイトルこそが長谷川氏の思考に絡む藁なんではないかと思った。 音と聞くと裏表のない人間のようなポジティブな印象を持つことがあるが基的に人間の音・個人的な欲望は他人から見たらおぞましいものに見えることのほうが多いものです。今回の長谷川氏の自堕落透析患者抹殺論もそう。だから「音論」というタイトルのくくりで見れば長谷川氏のエントリーも音であるという一点に関して言えば評価できるところではあると考えられます。エントリーの内容とは完全に別な視点ではありますが・・・ 長谷川氏の今回炎上している件についても彼なりの資分配論なのだろうがそういった社会正義のように見える音はたいていが個人の生存者バイアスであったり高慢さ、自律力、プライドなど個人の勝手な判断基準を用いて語っているに

    長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか - メロンダウト
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