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高倉流に関するsatokoasakaのブックマーク (4)

  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 御直衣(現代と平安期の違い)』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 歴史の中では衣裳だけでなく、着装方法も時代によって変わっていきます。 有職装束の現代の着装と平安期の着装を比べながら同時にみることができる貴重な機会でした。 現代と平安期の装束の違い。 まず、糸が違うとのこと。 今では絹糸に撚りをかけたものを使いますが、平安期は撚っていない糸で織られていたので、 現代の装束よりも軽く、故に重ねて着ることができたそうです。 現代の装束は12~15kgですが、平安期のものは10kgに満たないであろうとのお話でした。 そして

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 御直衣(現代と平安期の違い)』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安王朝絵巻のような会場の様子』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 高倉流では、着付けをする衣紋者をお服の者といいます。お服の者は着る方(お方といいます) の後にまわって、前を担当する御前装束人の補助を得て着付けをします。 今ではお服の者を後衣紋者、御前装束人を前衣紋者というそうです。 衣紋者の方々も袿(うちき、うちぎ)をお召しになって壇上へ。 華やかです~ 左)真ん中の方が高倉流東京道場会頭の荘司礼子先生 。 右)きもの学でもご一緒しているきものライターの笹川茂実さんと。 左)高倉流宗会頭の千石宗久先生と。 華やかな

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安王朝絵巻のような会場の様子』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安の雅な遊びに興じる 』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 衣紋道とは、装束の着装方法のことです。 来は装束も衣服ですので、平安時代摂関政治の頃までは装束は緩やかな ゆったりしたもの(柔装束)を自分で着用していたと考えられています。 平安末期、院政を行った鳥羽上皇は装束に対して並々ならぬこだわりがあり、 生地を厚くし糊を利かせかっちりした姿を好みました。 衣紋道の祖と称される源有仁と共に装束のデザインに取り組み、威儀正しく美しい装束 を考案しました。これが強装束です。強装束はごわごわして着にくいため、特別な着

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  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 十二単(現代と平安期の違い)』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 十二単とは、高貴な方に仕えた女房の出仕時の衣装のことで、身分の高い方と同席をする場合、臣下のほうがより改まった服装が求められたために着用した衣裳のことです。 当時は女房装束、唐衣裳(からぎぬも)などといわれており、それに付属するものを物の具(もののぐ)といいました。 十二単というのは後世になって生まれた俗称だそうです。十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基は8枚。重ねる打衣の枚数が5枚になったころから五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬ

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