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2010年11月6日のブックマーク (8件)

  • 朝香沙都子『銀座和光「秋山眞和染織展」』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 銀座和光館6階和光ホールにて行われている、綾の手紬染織工房主宰の秋山眞和先生 による「秋山眞和染織展 小石丸•藍•貝紫~織りの彩り~」染織展のギャラリートークへ 秋山先生のお父様は沖縄の方でいらっしゃるそうで、戦争により沖縄の工房がなくなって しまったことから、疎開先であった宮崎県にて工房を再開されたそうです。 なので、先生の染織のルーツは琉球にあるとのことでした。 先生の作品は、養蚕から織りまでの工程を一貫して手作業でおこなわれています。 染めは、

    朝香沙都子『銀座和光「秋山眞和染織展」』
  • 朝香沙都子『紫根染のきものに葵文様の染め帯で映画「大奥」鑑賞』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 草紫堂の松葉文様の紫根染のきものです。 紫草をつかった紫根染が南部地方に伝わったのは鎌倉時代以前といわれています。 南部藩政時代には盛んに行われましたが、明治になり藩による保護がなくなると、 伝統技法を伝えるものがいなくなり、途絶えてしまいました。 大正5年になってから復興のため紫根染の研究がされるようになり、南部紫根染研究所が 設けられました。そちらの主任技師だった藤田謙氏が創業したのが草紫堂です。 生地につかわれている白山紬は丈夫で柔らかく、何より

    朝香沙都子『紫根染のきものに葵文様の染め帯で映画「大奥」鑑賞』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 御直衣(現代と平安期の違い)』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 歴史の中では衣裳だけでなく、着装方法も時代によって変わっていきます。 有職装束の現代の着装と平安期の着装を比べながら同時にみることができる貴重な機会でした。 現代と平安期の装束の違い。 まず、糸が違うとのこと。 今では絹糸に撚りをかけたものを使いますが、平安期は撚っていない糸で織られていたので、 現代の装束よりも軽く、故に重ねて着ることができたそうです。 現代の装束は12~15kgですが、平安期のものは10kgに満たないであろうとのお話でした。 そして

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 御直衣(現代と平安期の違い)』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安王朝絵巻のような会場の様子』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 高倉流では、着付けをする衣紋者をお服の者といいます。お服の者は着る方(お方といいます) の後にまわって、前を担当する御前装束人の補助を得て着付けをします。 今ではお服の者を後衣紋者、御前装束人を前衣紋者というそうです。 衣紋者の方々も袿(うちき、うちぎ)をお召しになって壇上へ。 華やかです~ 左)真ん中の方が高倉流東京道場会頭の荘司礼子先生 。 右)きもの学でもご一緒しているきものライターの笹川茂実さんと。 左)高倉流宗会頭の千石宗久先生と。 華やかな

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安王朝絵巻のような会場の様子』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安の雅な遊びに興じる 』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 衣紋道とは、装束の着装方法のことです。 来は装束も衣服ですので、平安時代摂関政治の頃までは装束は緩やかな ゆったりしたもの(柔装束)を自分で着用していたと考えられています。 平安末期、院政を行った鳥羽上皇は装束に対して並々ならぬこだわりがあり、 生地を厚くし糊を利かせかっちりした姿を好みました。 衣紋道の祖と称される源有仁と共に装束のデザインに取り組み、威儀正しく美しい装束 を考案しました。これが強装束です。強装束はごわごわして着にくいため、特別な着

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 平安の雅な遊びに興じる 』
  • 朝香沙都子『コートの肩すべり☆』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 羽織は建物の中でも羽織ったままで大丈夫ですが、道行や雨コートは脱ぐことに なるので、羽織裏よりもむしろコートの肩すべりの生地が気になります。 とくに、雨コートは持ち歩くことが多いので、あのちょっとの部分が割と目立つのです。 橘一さんの防水加工によって甦った雨コート。着用写真は2010年4月12日のブログより。 肩すべりにはエルメスのカレといわれるスカーフをつかっています。 画像が悪いですが、色あせてしまった母の小紋を目引き染して再生した生地でつくった

    朝香沙都子『コートの肩すべり☆』
  • 朝香沙都子『経絣の結城紬(生地アップ写真追加あり)』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 今日は雨が降ったり止んだりのお天気。 雨コートを着ると蒸し暑くなってしまうので、単衣のきものが便利です。 単衣に仕立てた経絣(たてがすり)の結城紬に雀の刺繍帯をコーディネート。 経絣とは、文様になる部分(絣部分)を木綿糸で括って染めあげた経糸(たていと) と無地の緯糸(よこいと)を機にかけ、織り上げた紬のことです。 経糸の絣のみで文様が表されているため、 結城紬といえど求めやすい価格。 着心地の良さ、丈夫さは、結城紬であることに変わりないので、とっても

    朝香沙都子『経絣の結城紬(生地アップ写真追加あり)』
  • 朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 十二単(現代と平安期の違い)』

    朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba ~ kimono - cantabile ♪ ~ 四季を楽しみ装う暮らし。 日歴史と風土が生み出した美しい衣裳「きもの•着物•kimono•呉服•和服•和装」 365日四六時中きもの生活を堪能しつつ日文化を通してその真髄を学んでおります。 十二単とは、高貴な方に仕えた女房の出仕時の衣装のことで、身分の高い方と同席をする場合、臣下のほうがより改まった服装が求められたために着用した衣裳のことです。 当時は女房装束、唐衣裳(からぎぬも)などといわれており、それに付属するものを物の具(もののぐ)といいました。 十二単というのは後世になって生まれた俗称だそうです。十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基は8枚。重ねる打衣の枚数が5枚になったころから五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬ

    朝香沙都子『衣紋道高倉流 着装実演 十二単(現代と平安期の違い)』