2012年2月4日のブックマーク (6件)

  • 橋下・特区構想の「あいりん地区」結核発症深刻 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    日雇い労働者が集まる大阪市西成区の「あいりん地区」の人口10万人あたりの結核発症者数(罹患(りかん)率)は、全国平均の28倍にあたる516・7人に上り、国別罹患率で最も深刻な状況にあるアフリカ諸国と同水準に達していることが市の調査でわかった。 橋下徹市長は同地区に子育て世帯を呼び込む特区構想を検討しており、罹患率の改善を重点課題に位置づける方針だ。 厚生労働省によると、2010年の都道府県・政令市別の罹患率は、大阪府が29・9人、大阪市が47・4人で、いずれも全国平均(18・2人)を大きく上回った。府は20年連続、市は政令市で40年連続のワースト1となっている。 市の調査では、西成区の罹患率は238・5人で市内24区の中でも突出。あいりん地区に限れば、南アフリカ(罹患率978人)、ジンバブエ(同743人)に次ぐ水準だった。 橋下市長は、あいりん地区などに府外から転入する子育て世帯の市民税な

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    satosuke-428125 2012/02/04
    かなり深刻だ。
  • 気に入らない先生が…校内で包丁所持、中3逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    約15分後、中学の教諭が校舎内で包丁(刃渡り約18センチ)を持って歩いていた3年の男子生徒(15)を見つけ、駆けつけた愛媛県警松山南署員が生徒を銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した。 同署の発表では、生徒は同日午後、進路指導を受け、いったん帰宅。母親に「気に入らない先生がいる」と話していたといい、包丁はステンレス製パイプ(長さ約80センチ)の先端部に巻き付けていたという。

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    satosuke-428125 2012/02/04
    こんなことでいいのか、中学生。
  • 【消えた偉人・物語】神武天皇 古代史学の進展で実在確かに - MSN産経ニュース

    戦後の古代史学界では古事記・日書紀の伝承が疑われ、その中で「消された」人物の一人として神武天皇がいらっしゃる。「神武天皇は実在しない」「記紀による創作」とする歴史学者の学説がはやったからである。 しかし、それに対して厳密な史料批判に基づいた実証史学の碩学(せきがく)・坂太郎博士は「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」(『坂太郎著作集』第1巻)としていたし、日法制史の大家・瀧川政次郎博士も「神武天皇紀の大筋の事実は、終(つい)にこれを否定することができない」(『神武天皇紀の信憑(しんぴょう)性について』)と神武天皇架空説を批判していた。 そして、近年の古代史学界の流れも記紀の記述を裏付ける考古学的発見によって変化してきており、記紀の記載を検証した角林文雄氏は「日資料は不思議な

  • 芥川賞・田中慎弥さん、直木賞の大先達と対談へ : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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    satosuke-428125 2012/02/04
    これは見に行きたいが、遠いし。
  • 平将門をめぐって - heuristic ways

    私が平将門に興味をもつようになったのは、5年くらい前に大岡昇平の『将門記』を読んで以来のことだが、最近、将門について、二つのことが気にかかっていた。 一つは、将門が天慶二年(九三九)、坂東八カ国を制圧したとき、「巫女が神がかりし、八幡神が菅原道真を通じて将門を「新皇」とする、という託宣を下した」(網野善彦『日社会の歴史(中)』)のはなぜかという問題であり、もう一つは、高橋富雄氏が『平泉の世紀』で指摘している「平将門と藤原清衡」、「坂東と奥州」の関係はどこまで根拠があるものなのかということだった。 図書館で川尻秋生『戦争の日史4 平将門の乱』というを借りてきて読んでみると、それなりに納得の行くところがあったので、ここでポイントを整理しておきたい。  その前にまず私が驚いたのは、当時の利根川や鬼怒川は現在とは流路が異なり、「そもそも、現在からは想像しにくいかもしれないが、当時の常陸(ひた

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    satosuke-428125 2012/02/04
    平将門といえば、怨霊というイメージがあったが、ちゃんと知らなければ。
  • 永井路子『源頼朝の世界』 - heuristic ways

    初出一覧を見ると、書に収められた11編の歴史エッセイは、1966年から79年にかけて断続的に発表されている。「あとがき」で著者は、これは「私の鎌倉人物地図とでもいうべき一冊」であり、79年に雑誌「歴史と人物」に源頼朝を書いたとき、ようやくその白地図に色を塗り終えたのだと言っている。 それまで「頼朝を書かなかったのにはわけがある」と永井氏はいう。《これまでともすれば「頼朝が旗揚げして平家を倒し、幕府を開き、武士の世が始まった」というような言い方が通用していることに、嫌悪に近いこだわりを持っていたからだ。》 このでは、「源頼朝」をはじめ、「北条政子」、「頼家と実朝」、「後白河法皇」、「後鳥羽院と藤原定家」など、名の知れた人物以外に、「比企尼と阿波局」、「三浦一族」、「伊豆の軍団」、「武蔵七党」といった、歴史通でなければおそらく目を留めることもないような人物群像にも光を当てている。「北条義時

    satosuke-428125
    satosuke-428125 2012/02/04
    matsuiismさん、読んでくださりました!ありがとうございます。