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ブックマーク / matoyomi.hatenablog.com (6)

  • フィボナッチに潜む神、そして「聖なる侵入」 - マトリョーシカ的日常

    小学生の頃、算数がぞっとするほど苦手だった。三桁同士の足し算や引き算は苦労した。筆算をプリントのあちこちに書き込んで解いていくのだが、毎回違った答えになってしまい焦る。特に繰り下がりの引き算は時間がかかった。「十の位から借りてくる」とかそういう方便は分かっていたが、数字を分解して両方の形を海馬に維持させたまま鉛筆を走らせることができなかった。 算数は苦手だったが数学は好きだった。単なる計算問題が少なくなり、幾何や代数問題が増えたため、あまり頭を使わなくてもよくなったからだと思う。あれは僕が中学一年の冬か二年の夏か秋か冬か。よく覚えていないが、図書館数学の絵を見つけた。『数の悪魔』というだ。数学が嫌いな少年が数の悪魔と出会って毎日夢の中で数学談義を繰り広げる、という筋だった。そこで悪魔が語っていたのがフィボナッチ数列だった。 『聖なる侵入』でも『ヴァリス』でもフィボナッチ数列が登場する

    フィボナッチに潜む神、そして「聖なる侵入」 - マトリョーシカ的日常
  • 書評、読書感想文の書き方 - マトリョーシカ的日常

    100記事以上書いてきたので公開してみる。 去年からブログでを紹介してきたが、いつの間にかその数が百を越えていた。ずいぶん前に「あと百冊書いたらノウハウを公開しようかな」*1と言っていたので、今日は書評の書き方を教えようと思う。 書評に必要な態度 友人にそのを紹介するように書くこと。よく見かけるのが引用文やあらすじをだらだらと書き写して最後に自分の考えを一言二言添えるだけ、というスタイル。友人にむかってあなたは同じことを行うだろうか。 「このやばいよ」 「え?どこが」 「だから〜、ぺらぺらぺらぺら……」 十分後 「っていうわけなんだよー」 これではの面白さが伝わるわけがない。友人に紹介するなら、あらすじと気に入ったフレーズと述べるに留まる方が良い。「それだけでいいの?」と思うかもしれないが、それだけでいい。 ただ、もう少し付け足したいと思う時は次の要素を加えるといい。 書評を書くと

    書評、読書感想文の書き方 - マトリョーシカ的日常
  • 読書記録をとるのなら、京大式カードを使いなさい。まじで使いなさい。 - マトリョーシカ的日常

    記録をとる 読書は難しい。しかし、記録をとることはそれよりずっと難しい。僕らは一冊のに目を通すたびに言いたい文脈や、頭の奥に残る風景が積もる。それは都心に降る新雪のようで、積もるたびにすぐに溶けてなくなってしまう。いくら読んだを指折り数えても、アスファルトは以前として灰色のままだ。 人は忘れる生き物だ。それは仕方のないことだ。一部の天才を除いて、見聞きしたことをそっくりそのまま覚えていられる人は存在しない。「それでも僕は、私は覚えていたいんだ」。それなら外部記憶を味方につけよう。PCにバックアップをとるように、人間にもUSBメモリや外付けHDDが必要だ。 何を使えばいいか。京大式カードである。 京大式カードを使った読書記録は、梅棹忠夫が自身の著作である『知的生産の技術』で述べている。 京大式カードとは、B6の大きさに何かの罫線が引かれているカードである。やや厚めで保存も容易だ。見たと

    読書記録をとるのなら、京大式カードを使いなさい。まじで使いなさい。 - マトリョーシカ的日常
  • あらゆる教養を学びたいあなたへ贈るおすすめの本12冊 - マトリョーシカ的日常

    ざっくり教養を学べる あと数ヶ月で大学を修了する。単位もとれたし論文もきっと書けるだろう。バイトもサークルも勉学も一通り手をつけた。でも一年くらい前から何か違和感を抱いていた。大学を出る頃にはいろんなことを知っていてその知識を有機的に結びつけられる力や文章力がついているものだと思っていた。でも実際はうすっぺらい人間が一人出来上がっただけだった。理想との現実に大きなギャップがあったのだ。 これではいけないと半年ほど前から腰を入れて書評ブログを書き始めた。から得た知識を自分の中で咀嚼して落とし込むには書評を書くのがいいからだ。いろんな書評を書いてきたがひとつの目標が教養がざっくり学べるのまとめを作ることだった。すなわちこの記事を書くことだ。 さっそく紹介していこう。 哲学 反哲学入門 (新潮文庫) 作者: 木田元出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/05/28メディア: 文庫購

    あらゆる教養を学びたいあなたへ贈るおすすめの本12冊 - マトリョーシカ的日常
  • 【書評】「聴かずにわかるクラシック」!? でも、おら聴きてぇ!/「西洋音楽史」 - マトリョーシカ的日常

    西洋音楽をざっと眺める書籍 西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書) 前々からクラシックには興味があった。僕の二人の姉はともに音楽が好きでオーケストラのコンサートを聴きにいったり実家ではクラシックを流したりしていた。 「あ、これはだれだれの曲でー」 「そうそう。あぁいいよねー」 そんな話に僕も混ざってみたかった。しかしクラシックなんてどこから聴けばいいわからないし長いし外国語だしとてもハードルが高かった。金管楽器サークルにでも入ればよかったのかもしれないが。 そうしてかれこれ十年ほど経ってこのに出会った。西洋音楽史。「聴かなくてもわかるなら」そう思って読み始めてみたらほんとにわかった。掴めたという感覚が近いか。今まで名前しか知らなかった人物が歴史ではここらへんに位置しているということが理解できたのだ。 ……だけど。 だけど! おら、聴きでぇ! 聴いて分かりたい! というわけで今回は

    【書評】「聴かずにわかるクラシック」!? でも、おら聴きてぇ!/「西洋音楽史」 - マトリョーシカ的日常
  • 【書評】84歳の教授が哲学をざっくり体系的に語ってくれる本/「反哲学入門」 - マトリョーシカ的日常

    体系的に哲学を学べる 反哲学入門 (新潮文庫) 夏休み直前、もう今セメで生協に入るのは今日が最後になるのだろう。そう思って前から欲しかったを一冊買った。「反哲学入門」。帯と目次から察するに、哲学を体系的に理解できるのようだ。価格は定価で490円。 読んでみたらそのボリュームに驚いた。哲学で有名な人物名が一通り出てきて、彼らの考え方や関係性が分かりやすく解説されているのだ。ワンコインでこれほど濃密な情報に出会えるのはという媒体独自のものだ。理系の僕にとって哲学とはわけのわからない混沌としたもの、というイメージしかなかった。しかしこのによって僕の哲学に対する知識は継ぎ足され、整備され、補強された。 このは筆者が新潮社の記者からインタビューを受け、それに答えたものを文字に起こし、後に修正を加えたものである。そのため何度か同じことを言っていたり、話の内容があちこちへ飛んだりする。しかし話

    【書評】84歳の教授が哲学をざっくり体系的に語ってくれる本/「反哲学入門」 - マトリョーシカ的日常
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