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  • 富岡製糸工場のすごい技術移転 - 『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 6 回

    『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 6 回 富岡製糸工場のすごい技術移転 月刊『マガジン・アルク』 2006/09号 要約:富岡製紙工場の女工の状況を描いた『富岡日記』は資料的価値だけでなく読み物としても実におもしろく、その技術を学んだ彼女が地元に戻ってはじめた六行社の記録も驚異的。一年でこれだけの技術を身につけて教える側にまわるとは! なぜ当時の日の女工にそれができたか(そしていまの途上国にできないか)は大きな課題だ。 仕事が受注できずにずっと日にいると、だんだん部長の視線が厳しくなってきて最近なかなか肩身の狭い状況なのだけれど、その分国内で、日の産業発展とか工業化についてあれこれ考えたりしている今日この頃。その中で久しぶりに棚から引っ張り出して、読むだけでなくスキャンしてインターネットにあげてしまったのが、「富岡日記」というだ。 これは実におもしろい。明治の富国強兵策の

    sayamatcher
    sayamatcher 2014/04/26
    “『富岡日記』は資料的価値だけでなく読み物としても実におもしろく、その技術を学んだ彼女が地元に戻ってはじめた六行社の記録も驚異的。一年でこれだけの技術を身につけて教える側にまわるとは! ”
  • 富岡日記

    右は一人にて二十五釜受持、繭えり場・糸揚場見廻りもこの内。 日婦人中廻り 尾高 勇   この方は尾高様の令嬢、只今は渋沢男御子息の令夫人の筈に有之。 青木 けい  総取締青木たい様の御孫 森村 時 (武州)  畑銀 (七日市) 太田たい (武州)  笠間愛 (武州) 轟 とね (武州)  若林若(高崎) 磯貝某 (上州小幡) その他の姓名忘れました。 右は五十釜に三人、二十五釜に一人ずつ。一人は二時間ごと位に交代。一釜を三人で代る代る に糸をとって居ります。男女二人二十五釜の前を行き来して、糸のむらになりませんように見て 歩きまして、太過ぎても細過ぎても切れてしまいます。湯かげん、しけの出し方、蛹(さなぎ)の出し方等 やかましく申されます。それで聞きませんと叱られます。その上西洋人が見廻りまして、目に止 りますと中々厳しく申します。これは直に工女中の評判になりますから、如何なる者も恥かし

    sayamatcher
    sayamatcher 2014/04/26
    “富岡製糸工場の初期女工として働いた武家の娘、和田(当時は横田)英による、富岡製糸工場の記録と、彼女が故郷松代に帰ってから操業に参加した六工社の記録。当時の労働環境、女工の日々の生活、労働倫理や事業へ…
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