HALO: Reachのエンディングロールが全て流れ終わった後、居ても立ってもいられなくなって、押し入れからHALOの一作目を引っ張り出し、それをReachのディスクと入れ替えに360本体に押し込んでいた。同じ気持ちになった人も多かった筈だ。 俺ことスパルタン・ノーブルシックスがバトンを託した物語の続き。 コルタナとスパルタン最後の生き残りを乗せた戦艦オータムは、あの宇宙に浮かぶ指輪のような環状惑星ヘイローへと向かう。 もっとも8年前、初めてこの一作目のイントロダクションに立ち会ったときは、ここに至るまでの重たい歴史や展開など知る由もなかった。まぁ当たり前のことだけど。 この栄えある初代HALOが発売された当時、日本国内でのXBOXはタマ不足に喘いでいた。 期待していた海外ゲームは、せいぜいEAのスポーツもの程度。後は斬・歌舞伎だの、マジデスファイトだの、メタルダンジョンだの、ドリキャス市
押し入れの中を整理していたら、1995年に発行された別冊歴史読本の徹底推理・日本の埋蔵金がひょこっと出てきた。 かつて俺には埋蔵金がらみの裏日本史にやたらと興味を持っていた時期があって、その分野では第一人者である畠山清行氏の各著作をはじめとして、それ関係の本を手当たり次第読みまくっていたことがあったのだ。 それらの本はだいぶ前にまとめて古本屋に売り払ってしまったのだが(他はともかく、畠山先生の古書などは、つくづく勿体ないことをした)、この別冊歴史読本の特別増刊だけは、たまたま手元に残っていたらしい。 本書に収録されている各地の埋蔵金伝説は、赤城や佐々成政の軍用金、多田銀山の埋蔵金など、特に目新しいものはない。 いずれも畠山先生の著作などで、さんざん取りあげられていた話題だし、畠山先生の講談調というか、多分にはったりの入った独特の文章と比べると、どの項目の著者も生真面目すぎて、どうしても読み
インタラクティブムービーというジャンルが確かな意味を持っていた時間。それは大変短いものだった。 デジタルメディアの急成長と、ゲームというジャンルとの中途半端なシンクロ(その中の数少ない成功例の一つが、ワープのDの食卓だ)のせいで、それはたちまち手垢にまみれたジャンルになってしまったのだが、しかしそれはある一時期、確かな意味合いを持って存在していたのだ。 その時期は、マルチメディアと言う言葉が未知の輝きを放っていた頃から、たちまちそれが陳腐化してしまうまでの間とちょうど重なっていたりする。 そのインタラクティブムービーの最後の輝きとも言える作品が、庄野晴彦が製作したこのGADGET: Past as Future。 このインタラクティブムービーの中に登場する電磁波照射装置に名付けられたセンソラマという名称。 その元は、1960年代に登場した早すぎたバーチャルリアリティマシンの名だ。 今のゲー
Game Roomのラインナップにある各ゲームのメニューには、ゲームヒストリーという項目があり、簡単なゲームのバックグラウンドが記されているのだけど、これが何気に興味深い読み物だったりする。 アタリが1980年にリリースしたこの名作、センチピードのヒストリーには、本作がゲーム業界での女性プログラマーの草分け的存在、ドナ・ベイリーによってデザインされたと解説されている。 女性が製作、パステルカラーを基調としたイメージ、自機はノーム(あれがノーム!?)、そしてキノコ畑を舞台にしたほのぼのとした設定。 俺はてっきりセンチピードは、マジックマッシュ畑でラリったダメ人間が、ムカデやクモが襲ってくる幻覚に囚われて、一人で大騒ぎしているゲームだと思い込んでいたのだが、実はそんなファンシーなパブリックイメージを持ったゲームだったらしい。 そんな風に見えるわけがねえだろう!あのけばけばしく入れ替わる蛍光カラ
レッドシースプロファイルを遊んでいると、厭が応にも思い出さずにはいられないのが、このミザーナフォールズだ。 北米の田舎町が舞台。発端は殺人事件。自立して行動する住人たち。常にガソリンの残りを気にしなければならない車での移動など、両者の共通点は多い。町(マップ)の規模、スケールなんかも酷似している。 だけど、指定された場所に赴けば、つつがなくストーリー(捜査)が進行するレッドシーズは、ミザーナに比べたら、ゲームとして格段にとっつきが良い。 きついタイムスケジュールの中で、文字通り瞬間的に発生するフラグイベントを、広いマップの中から自力で探し出さなければバッドエンド一直線なミザーナのゲームデザインは、革新的であり、大胆であり、そして無謀だ。 こんなもん、外部からのヒント無しに、解けるわけがない。 ボロボロのポリゴン。すぐどっかにひっかかるキャラクター。壁に突き刺さる車。家の中に降る雪。へぼへぼ
今から42年前の今日、うだるような暑い日、一人の白人男性が大荷物を手にテキサス大学の時計塔を登っていった。 男の名はチャールズ・ホイットマン。陽気で快活な好人物、彼を知る人たちは、揃って彼の事をそう評していた。 しかし彼がその直後にとったのは、彼を知る者全てを驚愕させるような信じられない行動だった。 チャールズ・ホイットマンは、時計塔の展望台に持ち込んだ大量の銃器で、眼下の人々を無差別に狙撃し始めたのだ。それも海兵隊仕込みの凄腕で。 塔に突入した警官に射殺されるまでの間に、彼は16人もの人々を撃ち殺し、30数名を負傷させた。 塔から450メートルも離れた物陰に身を潜めていた警官ですら、彼の正確無比な狙撃の餌食となった。 俗に”テキサスタワー乱射事件”という名称で知られるこの全米犯罪史上最悪の大量無差別殺人事件をオイラが知ったのは、たまたまテレビで放映されていた『アメリカン・バイオレンス』(
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