Spacewar! ヒギンボーサムがTennis for Twoを発明したのちの1960年代になると,ブラウン管がDEC社(Digital Equipment Corporation)のコンピューターPDP-1の出力装置として標準的に使用されるようになりました.それ以前のコンピューターでは,計算結果を出力するのは紙や数値表示装置などで,ブラウン管は一般的には使用されていませんでした. マサチューセッツ工科大学MITの技術模型鉄道クラブ(Tech Model Railroad Club, TMRC)という鉄道模型クラブがありました.そこにスチーブ・ラッセル(Steve Russell)がいました. 1961年,DEC社からPDP-1がMITに寄贈されました.「Minicomputer」と称賛されたこのコンピューターは,冷蔵庫2台分ほどの大きさがありました.TMRCのメンバーだった学生たちは,