御祭神は、世に「稲荷大明神」と称え奉る衣食住の祖神で、古来産業の守護神として、広く庶民がおまつりする神さまであります。 王子稲荷神社は、今から一千年の昔「岸稲荷」と称して、この地にまつられたお社で、社記に、『康平年中、源頼義、奥州追討の砌り、深く当社を信仰し、関東稲荷総司と崇む』と、伝えており、西暦一〇六〇年の平安朝中頃には相当の社格を有していたものと考えられます。 元亨二年(一三二二年)に近隣の地に領主豊島氏が、紀州の熊野神社を勧請し王子神社を祀った処から、地名も王子と改まり、当社も王子稲荷神社と改称されました。 小田原北条氏は当社を深く尊崇し、朱印状を寄せており、江戸時代には、徳川将軍家の祈願所と定められて大層栄えました。 代々の将軍の崇敬は、極めて篤く、社参は勿論、三代将軍家光公は、寛永十一年に、社殿を造営し正遷宮料として金五拾両、その他諸道具一式を寄進せられ、次いで五代将軍綱吉公は