旧鎌倉街道を歩いていたら、カサッと小さな音。降ってきた落ち葉が、地面に触れた音だった。見上げると枯れ枝の向こうに青い空がある。もう年末だ。 この時期になると、NGOが販売するカードなどに、世界のいろんな国の挨拶が書いてあったりする。 挨拶は社交の儀式だが、もともとは相手に自分が「敵」ではないことを示して良好な関係を確認するもののはずだ。一人で山の中を歩いていて、たまに人とすれ違うときには、自然と挨拶が口に出る。この場合は、挨拶の本来の意味を感じる。「危害を加えたりしないよね」と。 小さな共同体では、顔見知りばかりで、あらたまっての挨拶は必要性が小さくなる。いわゆる挨拶語がない、あるいはほとんど使用されない社会もある。 「どさ」「ゆさ」でいいわけである。 さて、タイでは「こんにちは」が「サワッディー」ということになっている。しかし、タイに滞在しているうち、私はこれが1930年代に作られた人造
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