美学に関するschwer_metallのブックマーク (2)

  • ジャンニ・ヴァッティモ「解釈学的存在論における真理と修辞学」 - un coin quelconque de ce qui est

    [以下は Gianni Vattimo, La fine della modernità, Milano:Garzanti Editore 1985.に収録された第8論文の英訳・独訳からの重訳] 1 われわれが「解釈学的存在論」と呼ぶものが何であるかは、現代思想において非常にはっきりしていて十分に展開された哲学的立場である。[これについては]ガダマーに加え、ルイジ・パレイゾン、ポール・リクール、もしくは(比較的最近では)リチャード・ローティといった哲学者によって前進せられた、独創的で高度に明瞭な諸理論について考えるだけでよい。これらの思想家は、しばしばそれぞれ異なった方向においてではあるが、解釈についての哲学に対して決定的な貢献をなしたのであった。それゆえ、私のここでの問題の考察は網羅的なものではあり得ない。私はもっぱらガダマーの特定の解釈学的パースペクティヴから真理と修辞学との関係につい

    ジャンニ・ヴァッティモ「解釈学的存在論における真理と修辞学」 - un coin quelconque de ce qui est
  • J・キュッパー、Ch・メンケ編集『美的経験の諸次元』(2003)目次と序論 - un coin quelconque de ce qui est

    Joachim Küpper und Christoph Menke, hrsg. Dimensionen ästhetischer Erfahrung, (Frankfurt a,M.:Suhrkamp 2003.) の序論が、ガダマー以降の「美的経験」の議論状況とその議論が孕む問題点を簡潔に整理していてなかなかよかった。 『美的経験の諸次元』 目次 ヨアヒム・キュッパーとクリストフ・メンケによる序論 1.ディーター・ヘンリッヒ:「プロセスとしての主観性とモデルネの芸術におけ   る転換」 2.リュディガー・ブプナー:「美的経験と美術館のあらたな役割」 2.リチャード・ローティ:「自己関連性からの解放手段としての小説」 3.リチャード・シュスターマン:「ウィトゲンシュタインの身体感性論:精神哲  学、芸術哲学、政治哲学における身体的感覚」 4.ゴットフリート・ベーム:「生き生きとしたもの

    J・キュッパー、Ch・メンケ編集『美的経験の諸次元』(2003)目次と序論 - un coin quelconque de ce qui est
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