中松 義郎(なかまつ よしろう、通称:ドクター・中松[2]、英語表記:Dr. NakaMats 1928年〈昭和3年〉6月26日[3][4] - )は、日本の発明家、実業家、政治活動家。「ドクター・中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁[注 1][5]、「国際発明協会」[注 2]および「世界天才会議」の主宰者[6]。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[7]。 「送電線架設装置」を発明した中松義郎(1950年代) 東京府(現:東京都渋谷区)出身[8]。中松家は直参の旗本で、父は横浜正金銀行行員、母・芳野は東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業した教師だった[9]。学校は、初め麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)に