母と私は生活に困り、日本で生活をしていた知人を頼って来日しました。1993年で私は8歳でした。最初に思ったのは「『おしん』がいない……」。NHKのテレビ小説「おしん」は、イランでも放映されていて大人気でした。でも、来てみると着物を着た人もいないし、大根も干されていなくて、驚き、少し悲しかったです。 埼玉に住み、小学2年から学校に通い始めました。習慣や文化の違いに戸惑い、日本語が全くわからない私を救ってくれたのは、校長先生でした。毎日朝から夕方まで、校長室で日本語を教えてもらいました。昼の給食だけ他の子たちと同じ教室で食べていました。 「子どもって、なんでも我慢しちゃう」 ところが、様々な事情が重なり、母と私は2週間ほど公園で生活せざるを得ない状況になりました。 私は毎日同じ格好で学校に行っていて、たぶん悪臭もしていたと思うんですけど、みんなは私が公園で生活をしていたことは知らなくて。でも給