「敵」を求め続ける日本社会 エアポート投稿おじさんにインスタおじさん。今日もまた、「間違った」SNSの使い方をするおじさんが嘲笑われている。Facebookで空港にいると報告すればうざったいと叩かれ、Instagramに自撮りをあげれば恥を知れとまた叩かれる。 これからもおじさんと若者がSNSで思いかけず出会ってしまう度に、同じバッシングが繰り返されるだろう。 かつてiモードが最先端だった頃、自分たちもケータイを使いこなせないおじさん世代を見下していたのだから因果応報ではないか。それは確かにその通りなのだが、いま流行りのおじさん叩きは、いつの時代にもあったで済ますことのできない問題を孕んでいる。 バブル崩壊以降の日本では、社会を覆う閉塞感の正体が常に探し求められてきた。 1990年代後半からしばらくの間、悪者にされていたのは若者である。フリーターやニートの増加は、若者の勤労意欲の低下に原因
![「おじさん叩き」は、むしろ日本のアップデートを阻む呪いである(田中 俊之)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/493f43c35b5cf9e15582da6790f11ffc7e7106c4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Ff%2F9%2F1200m%2Fimg_f976f0dc9a67eab7bfc872f7072fea0b72971.jpg)