パラオの国旗 Skebong氏と筆者 今月2日、私はJohn Blau Skebong氏を パラオ共和国の前の首都で、 最大の町であるコロールの ご自宅でお目にかかりました。 この人は1979年、パラオの国旗が公募されたとき、 これに応じて当選し、それが現在の国旗になった その発案者です。 ご自宅は私が泊まった日航リゾートホテルから タクシーで15分くらいのところでした。 コロールの町外れに近いところを左折して、 海岸に面したところにお宅はありました。 いかにも熱帯海洋性気候のパラオの家らしい 風通しのいい、大きな部屋で、壁を背に、 大家族の大半がソファに座り、 テレビを見ていました。脳梗塞の後遺症で やや言語に聞き取りにくいところがあり、 途中からパラオ語で話してもらい、 お嬢さんに英語に通訳してもらいました。 家族をいろいろ紹介されましたが、 あまりに大家族で、とても覚えられませんでし
![パラオ国旗の作者との対話](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d494709cce5f5bbed224cde20d3b0bf8a37b6ccd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog.canpan.info%2Ffukiura%2Fimg%2F7313%2F260px-flag_of_palau_svg.png)