時代「おまえたちもう私と寝なさい」
コンテンツ自体は残ってるんだけど「当時はそれが主流だった」ってのが、今の人たちには信じられないみたいで 「スクールカースト上位は勉強も運動もできるリア充、あくまで一部の落ちこぼれがヤンキーになり、普通の子はそいつらを冷笑的に見てた」みたいな史観で上書きされてるんだよ。今で言うとこのトー横キッズ的なマイノリティだと思われてる。 「リア充グループ=ヤンキーグループ、普通の子も基本はちょいヤンキー趣味で、ヤンキー文化に馴染めない子は陰キャ、マイノリティだった」って言っても信じてもらえない。 追記一部の治安のいい地域を除いて公立の中学ってだいたいそういう風潮だった(実際、校内暴力が社会問題になってたわけだから嘘ではない)から、それを嫌って中学受験する人が増えて1980年代半ばから私学の新設ブームが来て中受が一般的になったんだよ。 文教地区で育った子や私学に行った子は、そりゃ身の回りにヤンキーなんて
バブルはとっくに崩壊してるのにバブル残滓だけ残ってた。 上の世代の頭が切り替わってねーのよ。 「老害死ね」って思ってもネットはまだ始まったばかりで 今みたいに簡単に社会に物申して縦横無尽にバズるということが出来ない。 今もちょっと残る「非モテ」みたいな議論も 主にはあの時代に青春送った人たちの苦情だと思う。 80年代バブルのイキり文化のウンコの残り香だけが漂ってたせいで 当時は男への滅茶苦茶高い要求を煽るようなメディアばっかりだった。 実態市場がほんとにそんな相場だったかはしらないけど ああいう情報で気が大きくなった女や委縮した男は沢山いたと思う。 当時の平均的な若い男女が頑張った結果成立するような 平均的なデートやカップリングは肯定を得られなかった。 格好悪いダサい十分な基準に到達してないものとされた。 あの当時の「デート文化」的なものからの攻撃の空気が嫌で仕方なかったし あの時に恋愛市
違和感があったので書いてみる 筆者は当時そのへんのエロゲ会社でライターとして働いていた 引用元が言いたいのはおそらく「あのサブカル感なんでなくなっちゃったの」が正しい サブカルというワーディングに反感を覚えるかたもおられるだろうが、まあまあ、どうどう エロゲが衰退したかどうかは結構面倒な話になるので割愛する あとゲンガーの話してるけどエロゲンガーがあこがれだった時代は存在したのだろうか…… あの当時、なぜエロゲに謎のテキストライターが集まったかというと、 『ライター』という職業を志す者にとって一番稼ぎやすい場所だったからだ 家で稼げる、ダメ人間でも雇ってもらえる、これ大事なことね また、1作品あたりの予算もコンシューマほどかからないからプロデューサーも適当で 企画さえ通ればあとはテキストライターが好き勝手やることができた ライターの供給源となる場所はテキストサイトが多分に役目を果たしたはず
漫画やアニメだとどうしても「ヒロインになりやすいヒロイン像」というのがあるけど、 エロゲはそれぞれに個性の違う複数のヒロインを主役にしたオムニバス的な構造だから、 新しいヒロイン像、新しい物語類型が、エロゲの中で生まれていったんだよ。 それまではサブヒロインに甘んじていたようなキャラ設定でもフィーチャーされるようになった。 90年代はいまのオタク向けの物語類型が出始めた頃だけど、それがエロゲによって大量生産されて、 これまでに見たことがないような物語が一気に生まれてきたイメージだな。 あと、文章+絵+音楽で数十時間の完結した物語を一気に読ませるっていうのも特徴だよな。 深夜に何時間もひたすらエロゲやってると妙な没入感があってな。 切れ目がないから鬱展開とかもやりやすいし、タイムループみたいな回りくどい構成にも向いてる。 大長編だからこそ出来る新しいストーリーってのはあったと思うよ。 あと、
与那覇潤さんの本に「江戸時代の農村の次男以下の男は本当に非モテだった(もう江戸に行くしかチャンスがない)」みたいなことが書かれているのに、 一方で別の本では「江戸時代は夜這いの風習があって誰でも自由に性体験することができた」みたいなことが書かれている。 どっちが正しいんだろう。 赤松某氏の本によれば、夜這いには女性側の拒否権があったらしいので、 たぶん江戸時代の非モテもやっぱりそんなに簡単に性体験はできなかったのでは。 夜這いっていうと何か奇妙な風習な感じもするけど、現代とDQN層がやっていることと似たレベルではなかったのでは。 そもそも、夜這いが一番盛んだったのは鎌倉以後戦国以前までで、 その時代は世界的な小氷河期とも相まって人口激減していた時代だから、それこそフリーセックスしまくって人口維持する必要性があっただけかも。
例えば寄生獣のシンイチ。原作のシンイチが爽やかヤンキー系なのは、その時代での普遍な人像or理想像を取り入れているのかなと思う。ちょっと当時の普遍や理想像が分からないからなんとも言えないけど。そしてアニメシンイチがメガネを掛けた弱々しい一般人になったのは現代の普遍な人像を取り入れたからだろう。確かに現代でヤンキーが主人公ではリアリティに欠けてしまう。それでは寄生獣の生々しさが欠けてしまうから英断だったのかもしれない。現代では喧嘩で物事を解決したり友情を育んだりするのは二次元の話だけとなってしまっている。アニメのシンイチは今の視聴者が受け入れやすい、感情移入しやすい人物像にしたかったのだろう。 他の例で言うと、GALS!という漫画がある。りぼんで2000年頃連載していたタイトル通りギャルの女の子達の話だ。舞台は渋谷で懐かしのヤマンバギャルとかも登場している。おそらくヤマンバギャルなんて今の子供
数年前、母親(40半ば)の小6頃に書いた手紙を見た。 内容は良く覚えていないが、とても大人びた文章だった。 大人びたっていうのは、内容如何の話ではなくて、言葉遣いや文構成のはなし。あと字もきれいだった。 資料館とかに行くと、徴兵で戦地に行く17やそこらの子供たちの手紙なんかも すごくしっかりした文章だという印象が強い。 どうしてか、今の人たちの文章にはそれが無いように思う。 SNSが発達してとか、携帯やメールを使うようになったからとか、そういうことじゃないと思う。 自分は教育関係の仕事に携わるものでもなんでもないから、日本の教育論ってのは分からない。 でも、どうしてあの頃のようなしっかりとした文章が書けないんだろう? 「先生、あのね」なんて、いつから出てきたんだろう。 一概には言えないけど、昔の人と比べたら大半の日本人はアホになってると思う。 かくいう自分も、あんな文章は書けない。 どうい
世界に闇をもたらした中東のテロ組織指導者を暗殺するため 大統領に初期費用として50ドルを貰い 兵器を調達しながら世界を旅してまわる勇者の物語 って感じになるのだろうか ツイートする
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