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社会と自己責任に関するsds-pageのブックマーク (1)

  • おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う..

    おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う。 増田が挙げているのは自己責任論というより、自分のもつ特定の思想に反した振る舞いをする人間を罵倒するお墨付きが与えられる社会って感じだ。 当の自由主義社会は、どんな行いも基的に(迷惑を掛けない限り)許容され、 それによるどんな類の失敗であっても、ある程度社会がフェイルセーフしようとすることが肯定される社会だ。 増田のと真逆なんだよ。増田モデルは全体主義やファシズムに近い。 そして、自己責任論と結びつけられやすいリバタリアニズムだけれども、 非リバタリアンが想像するリバタリアンは「個人は自分のやることを理性的に判断して行動できる合理的個人である」 と主張して暗に「賢くなれ、さもなきゃ死んで当然」と言わんばかりのマッチョだと捉えられがち。 でもリバタリアンと言われる人の多くはそんなに凝り固まっていない。賢くなることは重要

    おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う..
    sds-page
    sds-page 2017/03/23
    自己責任って言うなら最初から柵を作るなという主張https://twitter.com/yasudajumpei/status/583861195532214272
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