やれやれ。私は日本人だがクジラなんて食べないよ。食べずともまったく不自由しないし。それより、「日本はクジラを食う野蛮な国だ」という評判を立てられるほうがよほど迷惑だ。
「イルカやクジラを捕ったり食べたりするのはダメだ。」 という主張の妥当性についてモヤモヤと考えてみた。 知能による線引き 食べる/見世物にするということを、「人類が自身の都合で自由に扱って良い」と解釈して、人類が自身の都合である種を自由に扱って良いかどうかは、その種の知能によって線引きされると仮定してみる。 妥当そうな理由を考えるとすると、「知能の高い種は後々人類と対話して共生することになる可能性があるので、禍根を残さないようにしよう」ってことかな? 例えるなら、「黒人を白人の都合で奴隷として扱ったのはマズかった。彼らは対話可能な存在だった。同じ過ちを繰り返さないようにしよう。」という考えを種を超えて拡張すると、イルカやクジラが当てはまるということか。この例えは微妙というか黒人の立場からすればアウトだけど。。 「何百年待ってもイルカやクジラと対話できるようになんかなんねーよ」って話もあり、
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