蝉川夏哉 @osaka_seventeen 「自分には合わないなあ」という作品群が世の中で受け入れられていることに無理矢理理由を探して理論を構築しはじめると、呪縛から逃れられなくなるのでやめた方がいいですよ 2017-10-16 14:09:46
![自分に合わない作品を無理に理論付けて否定するのはやめたほうがいいVS否定的なレビューを全てストレス解消のように言うのは如何なものか](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2947915d781ae8af72464a073fe524b368c1387c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F1ce5366c6bfca2f631da3f55c9e80bbd-1200x630.png)
ラノベ原作アニメとしてはキャバルリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作『ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。 ヘヴィーオブジェクトのアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである。 喋りすぎだ、と。 この点に関しては、同原作者による禁書目録の主人公、上条さんの長台詞=説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。 しかし俺は、上条さんの説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものとしか思えない。 本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである。 ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトはアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している
「この業界周りで働く人たちは、皆、総じて、"愛"に弱い。」(辻村深月 ハケンアニメ!) 「アイドルマスターシンデレラガールズ」の第3話を見てこの一文を思い出さずにはいられなかった。思い返せば第1話冒頭。ニュージェネレーションから漏れた彼女たちをすでにデビューしたアイドルとして見せた「お願い!シンデレラ」。画面からあふれでる愛におぼれるようだった。それからはじまった物語も素晴らしく、決め台詞が差し込まれる話運びにただただ溺れるしかなかった。そして第2話の宣材の撮影。たとえ短くともまた漏れてしまった彼女たちが出演している絵に心が震えた。 そこからの第3話。ついにはじまるシンデレラストーリー。ゲーム本編をプレイしていないため彼女たちの衣装がどのイベント、レアリティのそれなのか判らないことが残念でならない。 ここまでアニメデレマスは漠然としていた「見たいもの」が予想以上の物語と絵をもって与えられる
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