自動的に移動しない場合はをクリックしてください。
いろいろなところから、いろいろな主題について取材が来る。 月曜日は「赤旗」の取材。 お題は改憲について。 『九条どうでしょう』に書いたとおり、九条と自衛隊の「不整合」は戦後日本社会システムのすべての「汚れ」を投じる「クラインの壺」なのであるから、これは断固死守せねばならないという持論を語る。 九条二項を廃絶してしまった後に日本人は「日本は戦後一貫してアメリカの軍事的属国であり、いかなる固有の世界戦略を持つことも許されていない」というリアルでクールな事実に直面しなければならないのだが、どう考えても現代日本人にはその事実を受け止める「心の準備」ができていない。 「九条と自衛隊の不整合のうちに戦後日本のすべての不幸の原因はある」という「症状」のうちに私たちは 60 年間安住してきたわけであるが、その症状を奪い去られたあとに、私たちはそれに代わってどのような「狂気」を患えばよろしいのか。 いちばん
数年前バスに乗っていたとき、こういうことがあった。私のすぐ後ろの席に男性の二人連れが乗っていた。乗るときにちらっと見たが、一人はかなりオッサンでどうやら出張か何かで福岡に来ている人らしい。もう一人は若くて、おそらくそのオッサンの案内役の地元の人。そのオッサンが連れを相手に何を喋っているかというと「福岡市がいかに田舎か」ということを熱心に説いているのだった。しかもかなり大声で。福岡が田舎である根拠としては、地下鉄の路線が少ない、ということだった(当時は七隈線もなかった)。主要道路の地下に地下鉄が走っておらず路上をバスが走っているなんて田舎だ!というようなことを熱く主張。比較として地下鉄が走っている他都市を出して、福岡のほうが田舎だと強調。でも別に地下鉄愛好家というわけでもなさそうで、ただ福岡は田舎であると言いたいだけのようだった。しかもバスは西○の独占状態だ、それがいかん、みたいなことを大声
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く