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ジャン1世 (ブルゴーニュ公)の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 政変で死んだ世界史の「幼児王・少年王」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    政権末期や政変時に担ぎ出される幼児王・少年王 世界史ではよく幼児や子どもで王に担ぎ出されるケースがあります。 政治対立が起こり一触即発の場合に、幼い王を擁立させて角が立たないようにするという場合があり、これはこれで衝突を避ける政治的なテクニックではあります。中には成長して名君となるケースもありますが、悲劇的な末路を遂げる例も少なくありません。 日本史だと壇ノ浦の戦いで海に身を投げて死んだ安徳天皇が有名ですが、政治的混乱に巻き込まれ死んだ幼児王・少年王をピックアップします。 1. ジャン1世(フランス)1316年 即位後5日で他界した幼児王 フランス王ルイ10世が他界した後、子は娘しかおらず、妃のクレマンス・ド・オングリーが懐妊中でした。そのため出産までルイ10世の弟フィリップが摂政となり、1316年11月15日 に生まれた男の子が、ジャン1世として国王に即位しました。 しかしジャン1世は生

      政変で死んだ世界史の「幼児王・少年王」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    • フジェール城” Château de Fougères”~フランス史を動かし続けた要衝 | Call of History ー歴史の呼び声ー

      フジェール城(” Château de Fougères”)はフランス・ブルターニュ地方(現在のブルターニュ地域圏イル=エ=ヴィレーヌ県フジェール)にある城塞。ブルターニュ地方とノルマンディー地方の境界にあり、フランスの歴史上、ブルターニュ地方の要衝として繰り返し戦いの舞台となった。公益財団法人日本城郭協会選「ヨーロッパ100名城」の一つ。 築城最初の城は十一世紀、一帯を支配するようになったフジェール家(注1)が築いた。十二世紀、ブリテン諸島からフランス西半分にいたる広大な領域を支配しアンジュー帝国を樹立したイングランド王ヘンリ2世は、1166年、ブルターニュへ侵攻し、フジェール城を攻略した。このとき破壊された石造のドンジョン(天守塔)の遺構が現在も残っている。 このあとブルターニュ公コナン4世はヘンリ2世の子ジョフロワと娘コンスタンスの結婚並びに譲位を承認し、ブルターニュ公領はアンジュー

        フジェール城” Château de Fougères”~フランス史を動かし続けた要衝 | Call of History ー歴史の呼び声ー
      • 百年戦争「アルマニャック派」とは何か、成立から消滅まで | Call of History ー歴史の呼び声ー

        アルマニャック派(” Armagnacs”)は1410年、台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太子シャルル(のちのシャルル7世)を擁してブールジュを本拠地とした勢力の総称となった。名称の由来は主力となった南フランスの有力諸侯アルマニャック伯から。1420年代後半、シャルル7世政権内に親ブルゴーニュ派が台頭し、1435年のアラス和約においてフランス王シャルル7世とブルゴーニュ公フィリップ3世との和解が成立したことで消滅した。 オルレアン公ルイ暗殺事件1337年に始まったイングランドとフランスの百年戦争は、1385年のフランス軍によるイングランド上陸作戦の失敗を最後に、1389年に結ばれたレウリンゲン休戦条約が随時更新され続けることで恒久的な平和が訪れ

          百年戦争「アルマニャック派」とは何か、成立から消滅まで | Call of History ー歴史の呼び声ー
        • アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー

          アンヌ・ド・ブルゴーニュ(フランス語” Anne de Bourgogne ”,英語” Anne of Burgundy ”(アン・オブ・バーガンディ),1404年9月生-1432年11月14日没(注1))はベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの妻。ブルゴーニュ公ジャン1世の娘で、ブルゴーニュ公フィリップ3世の妹。百年戦争後期、イングランド王国とブルゴーニュ公国の同盟関係を維持する紐帯となった女性。 アンヌ・ド・ブルゴーニュの誕生と百年戦争アンヌ・ド・ブルゴーニュ(アン・オブ・バーガンディ)は1404年9月頃、ブルゴーニュ公支配下のアルトワ地方アラスでブルゴーニュ公ジャン1世の六番目の娘として生まれた。アンヌは芸術、音楽、そして宮廷の舞踏会に興味を持つ知的な若い女性に成長し、同時代の人は彼女を「気高く、物分かりが良く、思いやりがある」と評したという(注2)。 当時のフランスは国王シャ

            アンヌ・ド・ブルゴーニュ~優しき公妃の紐帯としての生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー
          • 陰で足を引っ張った義弟、ルイ18世とは。~マリー・アントワネットの生涯14。モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 - 孤独のクラシック ~私のおすすめ~

            プロヴァンス伯(のちのルイ18世) ルイ16世の兄弟たち 前回はマリー・アントワネットの夫、ルイ16世の生い立ちについて取り上げましたが、今回から彼の弟たちについて見ていくことにします。 弟はふたりいて、両方とも、ルイ16世夫妻がフランス革命に倒れ、ナポレオンが登場しフランスのみならずヨーロッパを席巻したあげく退場したあと、ブルボン復古王朝の国王として相次いで即位しました。 5人兄弟を整理すると次のようになります。 長男 ブルゴーニュ公 ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ(9歳で逝去) 次男 アキテーヌ公 グザヴィエ・マリー・ジョゼフ(1歳で逝去) 三男 ベリー公 ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世 在位 1774-1792) 四男 プロヴァンス伯 ルイ・スタニスラス・グザヴィエ(のちのルイ18世 在位 1814-1824) 五男 アルトワ伯 シャルル=フィリップ(のちのシャルル10世 在位 1

              陰で足を引っ張った義弟、ルイ18世とは。~マリー・アントワネットの生涯14。モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 - 孤独のクラシック ~私のおすすめ~
            • 9月10日は蛸島キリコ祭り、御田刈祭、グルテンフリーライフの日 、愛する小倉トーストの日、球都桐生の日、メディキュットの日、牛タンの日、キャッシュレスの日、和光堂ベビーフードの日、弓道の日、給湯の日、コンタクトレンズの日、 ロマンスナイトの日、下水道の日、知的障害者愛護デー、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

              おこしやす♪~ 9月10日は何の日? その時そして今日何してた? 2023年(令和5年) 9月10日は蛸島キリコ祭り、御田刈祭、グルテンフリーライフの日 、愛する小倉トーストの日、球都桐生の日、メディキュットの日、牛タンの日、キャッシュレスの日、和光堂ベビーフードの日、弓道の日、給湯の日、コンタクトレンズの日、 ロマンスナイトの日、下水道の日、知的障害者愛護デー、等の日です。 ■蛸島キリコ祭り(早船狂言)(~11日)【石川県珠洲市蛸島町、高倉彦神社】 2023年9月10日(日)、2023年9月11日(月) www.youtube.com 高倉彦神社を中心に、奥能登の漁師町・蛸島を練り歩くキリコは、その装飾の多さと豪華さから能登のキリコの中で最も美しいと言われています。ふんだんに使われる金箔と総漆塗り、そして見事な彫り物はまさに動く芸術品。 担ぎ手は、神の遣いとされる猿を模して顔を白塗りにし

                9月10日は蛸島キリコ祭り、御田刈祭、グルテンフリーライフの日 、愛する小倉トーストの日、球都桐生の日、メディキュットの日、牛タンの日、キャッシュレスの日、和光堂ベビーフードの日、弓道の日、給湯の日、コンタクトレンズの日、 ロマンスナイトの日、下水道の日、知的障害者愛護デー、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
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