人生の岐路となったその瞬間は仰木彬監督から「芸能界へ行け」と言われた日。タレントとして活躍する元プロ野球選手を引退後の芸能界に導いた仰木マジックについて語ってくれた! ◇ ◇ ◇ 僕が上田(利治)監督の「うちに来てくれるね」という一言に「心は一つです!」と答えて、オリックスに入団させてもらったのが1989年。1年目は上田監督の下で1番松永、2番が僕、3番門田、4番石嶺、5番藤井と組んでもらい、レギュラーとして3割の打率を残せて、手応えを感じていたんです。 ところが、2年目からの土井(正三)監督の時期はうまくいかず、僕も土井監督の下でふてくされちゃったところもあって、さっぱりダメで……。 「このまま選手として死ぬわけにはいかないぞ。違う監督の下でもう一度勝負してみたい!」という気持ちを持った94年に仰木監督になったんですよ。仰木監督の下でダメなら諦めもつくし、活躍できれば「ほら、やっぱり