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内藤國雄 弟子の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 【将棋史再発見】10手での投了が「プロ棋士らしからぬ棋譜」として戒告処分された過去(松本博文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    将棋のプロの公式戦で、盤上では反則などのトラブルがなく、最も短い手数で終局した記録は、何手でしょうか? 現在のところ、最短の例とされるのは▲佐藤大五郎八段-△中原誠名人戦(1974年8月19日、棋聖戦本戦トーナメント1回戦、肩書はいずれも当時)です。 まず最初に、その終局図を見ていただきましょう。 わずか10手目。中原名人の△4二玉を見て、佐藤八段は投了しています。 駒をただで取られてしまったなどの、重大なミスがあったわけではありません。 まだ序盤とも言える段階です。なのに佐藤八段は、どうしてここで投了してしまったのでしょう? 「名人に失礼なので投了」という伝説 佐藤大五郎九段(1936-2010)は、順位戦ではA級に2期在籍。1965年には王位戦七番勝負で大山康晴王位に挑戦したこともある実力の持ち主でした。豪快な振り飛車党として知られ、「薪割り流」の異称がありました。 対して中原誠16世

      【将棋史再発見】10手での投了が「プロ棋士らしからぬ棋譜」として戒告処分された過去(松本博文) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    • 米長邦雄少年「では師匠にお聞きしますが、高校へ行かなければ、将棋が本当に強くなるのでしょうか?」

      私が内弟子をしていた頃、一番上の兄貴が、時々遊びに来ては、「お前は勉強しろよ」と学校の成績が落ちていないかをいつも心配するのだった。母親のかわりに見に来ていたらしい。普通にやってさえいれば、どこか大学を出て、そして無難な生活が送れただろうに。これが親兄弟の偽らざる気持ちであっただろう。だから、将棋をやったがために、成績が極端に落ちることを極度に恐れていたようだ。お前は勉強してるかと、いつも心配していた。 これに対し私の方は「勉強しているよ」もちろん私の言う勉強というのは、将棋のことであるけれども、兄貴の言う勉強とは学校の勉強のことである。 数多く辛いこと、またバカバカしいことがあった内弟子時代だが、そのバカバカしい話のひとつを。 師匠と一緒に稽古に行くことが何回かあったけれども、その帰り道。 下十条(現在の東十条)の駅を降りて師匠宅までは、歩いて約3分。途中で鉄橋を渡る。 ある冬の寒い夜、

        米長邦雄少年「では師匠にお聞きしますが、高校へ行かなければ、将棋が本当に強くなるのでしょうか?」
      • 1980年7月18日の世代表

        anond:20200720204513年齢棋士57大山康晴(A級/3位)565554535251504948二上達也(B1/19位)474645木村義徳(A級/34位)44有吉道夫(B1/12位)43424140加藤一二三(A級/6位)内藤國雄(A級/7位)39板谷進(A級/21位)38大内延介(B1/15位)37米長邦雄(A級/2位)3635勝浦修(A級/4位)34森雞二(B1/16位)33石田和雄(A級/10位)田中魁秀(B2/17位)32中原誠(名人/1位)桐山清澄(A級/13位)31佐藤義則(B2/14位)30 森安秀光(A級/5位)292827青野照市(B1/8位)宮田利男(C1/20位)26252423小林健二(C1/11位)222120福崎文吾(C1/18位)1918谷川浩司(B2/9位) タイトルホルダー(王座戦が一般棋戦時代のため全六冠)中原誠(名人・十段・棋聖・棋王)

          1980年7月18日の世代表
        • 【将棋史再発見】佐藤大五郎八段はなぜ中原誠名人を相手に10手で投了したのか?(松本博文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

          本稿は、以下の記事の続編です。 【将棋史再発見】10手での投了が「プロ棋士らしからぬ棋譜」として戒告処分された過去(松本博文) 前回記事を要約すると、以下のようになります。 ・1974年8月、棋聖戦本戦トーナメント1回戦で、佐藤大五郎八段(後に九段)は中原誠名人(現16世名人)と対戦した。 ・佐藤八段はなぜか、名人には通用しないであろう「はめ手」の鬼殺し(おにごろし)の出だし数手を指した。 ・中原名人は時間を使って慎重に対応。 ・佐藤八段は模様がよくないものの、まだ大きく形勢を損ねたわけでもない段階で、突如投了。 ・総手数はわずかに10手。あまり名誉とは言えない、公式戦史上最短手数記録を残す。 ・対局からしばらくして「佐藤大五郎は『名人に対して失礼な指し方をした』と反省して投了した」という伝説が広まり、後世に伝わる。 ・対局直後の文献を見た限りでは、そうした伝説に関する記述は見られない。ま

            【将棋史再発見】佐藤大五郎八段はなぜ中原誠名人を相手に10手で投了したのか?(松本博文) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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