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卑弥呼 倭国乱の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 一聞百見 「卑弥呼は纒向に都を置いた」 遺跡から邪馬台国論争に区切り 考古学者の寺沢薫さん(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    古代史最大の謎といわれる邪馬台国(やまたいこく)論争。畿内か九州か。魏志倭人伝に記された3世紀の女王・卑弥呼(ひみこ)の都はどこに-。江戸時代の朱子学者・新井白石(あらい・はくせき)以来300年以上にわたって議論されながら、決着していない。畿内説の有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の研究・情報発信に取り組むのが同市纒向学研究センターだ。寺沢薫所長(72)は今春「卑弥呼とヤマト王権」(中公選書)を刊行。「邪馬台国論争に一つの区切りをつけたい」との思いだった。 【写真】箸墓古墳の発掘現場で研究者らに説明する寺沢さん=平成7年 「邪馬台国と卑弥呼には近づくな」。考古学の道に進んだ昭和50年代、上司や先輩から厳しく言われた。遺物や遺跡をもとに歴史像を組み立てるのが考古学。魏志倭人伝という文献中心の邪馬台国論争については「口にすることもできなかった」。 卑弥呼は、景初3(239)年に中国

      一聞百見 「卑弥呼は纒向に都を置いた」 遺跡から邪馬台国論争に区切り 考古学者の寺沢薫さん(産経新聞) - Yahoo!ニュース
    • 「纒向は新生倭国の首都」 卑弥呼誕生の背景考察 研究センターの寺沢所長講演

      邪馬台国論争に一石を投じる著書「卑弥呼とヤマト王権」(中公選書)を今春刊行した寺沢薫・纒向(まきむく)学研究センター所長が22日、奈良県桜井市の市立図書館で講演を行った。女王・卑弥呼(ひみこ)誕生の背景を当時の国内外の状況から考察。邪馬台国の最有力候補地ともされる纒向遺跡(同市)を「新生」倭国の首都と位置づけ、卑弥呼は北部九州や吉備(岡山)を中心とする諸勢力の話し合いによってヤマト王権の初代大王に擁立されたとする自説を展開した。 寺沢所長は、江戸時代の儒学者、新井白石が邪馬台国の場所を大和国(奈良県)と主張して以来、邪馬台国の所在を巡る論争はおよそ300年の蓄積があるがいまだに決着しておらず、魏志倭人伝などの文献のみを手がかりとするアプローチには限界があると指摘。「考古学の成果を活用しながら当時の政治状況を把握し、文献との整合性を一つ一つ検証していく必要がある」と述べた。 その上で、卑弥呼

        「纒向は新生倭国の首都」 卑弥呼誕生の背景考察 研究センターの寺沢所長講演
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