並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 3 件 / 3件

新着順 人気順

堺利彦 山川均 政党の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 中北浩爾『日本共産党』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    6月9 中北浩爾『日本共産党』(中公新書) 8点 カテゴリ:政治・経済8点 『自民党―「一強」の実像』(中公新書)や『自公政権とは何か』(ちくま新書)などの著者が今回挑むのは日本共産党。野党共闘の鍵となる存在でありながら、外側からはその内実がよくわからない日本共産党について、その歴史を紐解きながら実像に迫っていきます。 『自民党―「一強」の実像』や『自公政権とは何か』では、基本的に現在の意思決定や選挙対策などをとり上げて分析していましたが、今回の『日本共産党』の記述のメインとなるのはその歴史です。 これは日本共産党が現存する政党の中で最も古い歴史を持ち、その政策や意思決定の過程がかなりの部分、過去の積み重ねによって規定されているからです。 そのため、本書は本文だけで400ページ以上あり、なおかつソ連が崩壊するまでの記述で300ページ近くあります。そのため、個人的には面白く読めましたが、前半

    • 共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む

      前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。 大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 日本共産党」となったが、コミンテルンから天皇制の廃止や、土地の農民への引き渡しなどを指示されて、創立当初から非合法活動とならざるをえなかった。堺利彦らは解党を唱え、大正十三年(1924年)にいったん共産党は解散した。堺や山川らは労農派政党の結成を目指したが、解党を認めなかったコミンテルンの意向を受け、佐野学らが大正十五年(1926年)十二月に日本共産党を再結党(第二次日本共産党)した。 *コミンテルン(第三インターナショナルともいう):1919年,レーニンの指導のもとに創立された共産党の国際組織。30カ国の共産党および左翼社会主義者グループの代表が参加。

        共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む
      • ファシズムと結びつき軍部が政治力を強めていく頃の新聞記事を読む~~ファシズム2

        昭和七年には物騒な記事が多いのだが、この年の二月に井上準之助、三月に団琢磨が暗殺され、五月に五・一五事件が起きている。以前このブログで五・一五事件を起こした海軍の青年将校が記した檄文を紹介させて頂いたが、この檄文を読めば彼らが共産主義思想の影響を受けていたことは明らかであった。 前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。 大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 ... ところがその年の十一月には、右翼団体がテロを企てたとして検挙されている。面白いことに、彼らは五・一五事件のメンバーと繋がっていたことが報じられている。 昭和7年11月6日 神戸新聞 神戸大学経済経営研究所所蔵 新聞記事文庫 十一月五日に検挙された人物の検挙理由の一つに「五

          ファシズムと結びつき軍部が政治力を強めていく頃の新聞記事を読む~~ファシズム2
        1