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小式部内侍 藤原定頼の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 小式部内侍(60番) 大江山 いく野の道の 遠ければまだふみもみず 天の橋立🌼 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

    小式部内侍(60番)金葉集 雑上・550 大江山 いく野の道の 遠ければまだふみもみず 天の橋立🌼 〜大江山を越え、 生野を通る丹後への道は遠すぎて、 まだ天橋立の地を踏んだこともありません。 母からの手紙も見てはいませんよ。 🌸小式部内侍🌸 こしきぶのないし (1000?~1025) 橘道貞(たちばなのみちさだ)の娘 母親は和泉式部 (「和泉式部日記」百人一首56番) 一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕えました。 幼少時から才気を謳われ、 この歌をめぐる定頼とのエピソードは非常に有名。 代作疑惑をかけられたとき、 見事にこの歌で切り返しました。 小式部内侍はあの有名な和泉式部のお嬢様🌸 ということで、親の七光りじゃないのか?などと、 おっさんに意地悪されることもあるわけ💦 このおっさんは、かの有名な藤原公任の御子息 藤原定頼殿💠 歌会の時 「お母ちゃんからのお助けの手紙の使者

      小式部内侍(60番) 大江山 いく野の道の 遠ければまだふみもみず 天の橋立🌼 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
    • 🌿権中納言定頼(64番) 🍃朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

      🌿権中納言定頼(64番)千載集 冬・419 🍃朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 〜朝、だんだんと明るくなってくる頃、 宇治川に立ち込めた川霧が とぎれとぎれに晴れていき その霧の間から、しだいに現れてくる あちらこちらの川瀬に仕掛けた網代木よ 💠藤原定頼 💠 ふじわらのさだより (995~1045年) 藤原公任(ふじわらのきんとう)の子 優れた歌人であり、能書家。 藤原定頼は、「大江山~」の作者である 小式部内侍(60番)との逸話が有名。 (十訓抄じっきんしょう、古今著聞集ここんちょもんじゅうに載っています) 和歌の才で有名な和泉式部のお嬢様の小式部内侍。 藤原定頼君は、つい嫌味を言っちゃうわけ。 「お母さんの手紙は来ましたか?(代作の歌は届いたかね😎)」 「大江山は遠いし母の手紙も届いていませんよ(カンニングなんかしてないし💢)」 とやり込めたお話

        🌿権中納言定頼(64番) 🍃朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
      • 「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに」 権中納言定頼 小式部内侍にやりこめられた貴族 - 安心感の研究 by 暖淡堂

        百人一首第64番目の歌の作者は権中納言定頼ごんちゅうなごんさだより(藤原定頼)です。 藤原北家小野宮流藤原公任の長男で、中古三十六歌仙の一人。 今回は権中納言定頼について紹介します。 権中納言(藤原)定頼とは 生年が995年、没年は1045年。 官位は権中納言、最終的に正二位まで昇ります。 藤原道長の息子、藤原頼通が摂政だった時代に、頼通と衝突するような出来事があったようです。 その際に、謹慎させられています。 この藤原頼通との対立は終生続いたようです。 晩年、1043年兵部卿を兼任しますが、1044年に体調が悪化。 その後出家し、1045年1月に亡くなります。 時代背景 藤原定頼は、百人一首の60番目の歌を紹介した時に出てきました。 そこでは、小式部内侍にやりこめられています。 dantandho.hatenadiary.com この歌に出てくる宇治の川とは、京都府宇治市を流れる宇治川の

          「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに」 権中納言定頼 小式部内侍にやりこめられた貴族 - 安心感の研究 by 暖淡堂
        • 「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女 - 安心感の研究 by 暖淡堂

          百人一首第60番目の歌の作者は小式部内侍こしきぶのないし。 和泉式部と橘道貞との間に生まれた娘です。 今回は小式部内侍について紹介します。 小式部内侍とは 生年が999年、没年は1025年。 とても若くして亡くなりました。 小式部内侍も一条天皇中宮彰子に仕えていた人。 一条天皇中宮彰子の周りには才能を持った人が多く集まっていたのですね。 この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていましたか」と聞いたそうです。 つまり、まだ若い小式部内侍は、母である和泉式部の書いた作品を自らのものとして披露しているのだろう、と邪推した訳ですね。 それに対して、すかさずこの歌を返して、自分の才能を認めさせた訳です。 小式

            「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女 - 安心感の研究 by 暖淡堂
          • 千人万首

            歌人名は平仮名のよみ(現代仮名遣)でも検索可能です。 例:ふじわらのさだいえ,こまち,さいぎょう,ごとばのいん 一部人名に旧字体(正字体)を用いている場合もあります。例:兼藝 読み方の手引 六歌仙|三十六歌仙|中古三十六歌仙|女房三十六歌仙|新三十六歌仙|集外三十六歌仙|小倉百人一首 ●新規登録 足代弘訓 松永貞徳 飛鳥井雅顕 冷泉為景 佐久間象山 荒木田久老 久坂玄瑞 堀田一輝 ●改訂(歌の入れ替え、略伝・注釈・鑑賞の追加・訂正など) 三十六歌仙 永福門院 ―緒言― 神代の伝承歌から幕末の橘曙覧・伴林光平まで、千の歌人(神様含む)の和歌をおよそ1万首集めよう、という企画です。いわば、歌人別テキストデータベースに、詞華集の性格を併せ持たせた、折衷体といったところでしょうか。 凡その方針としては、 群書類従・私家集大成・新編国歌大観をはじめ多種の刊本を参考にし、時には写本・古版本等にもあたっ

            • 天橋立 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

              「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず 天橋立(あまのはしだて)」・・百人一首に収録されているこの歌に詠まれているのが京都北部にある天橋立です。 (天橋立) 天橋立があるのは地理的に言うと京都府北部、舞鶴の先です。 天橋立は、下の地図でわかるように、京都府の北部にある宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルの湾口砂州です。 幅約20~170mで全長約3.6kmの砂州で、ここにおよそ5000本の松が生い茂っています。 海上に浮かぶ白砂青松の架け橋・天橋立は、日本三景の一つです。 (あと2つは松島と宮島) 下の写真は対岸から見た天橋立です。 (風土記に記載された“天の架け橋”) 8世紀に書かれた、丹後の国の歴史書『丹後国風土紀』には、国を造ったイザナギの神が、天に通うために梯子を造り、天につながるハシゴ=天の架け橋ということで“天橋立”と言った。そのハシゴが、神

                天橋立 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
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