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岡田あーみん 天才の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 史上最も偉大な日本のサブカル漫画家100人 知名度、後世への影響、漫画史的..

    史上最も偉大な日本のサブカル漫画家100人 知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ作家名デビュー年代表作田河水泡1929年『のらくろ』手塚治虫1946年『新寶島』『鉄腕アトム』藤子不二雄1951年『オバケのQ太郎』藤子・F・不二雄1951年『ドラえもん』『エスパー魔美』藤子不二雄Ⓐ1951年『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』石ノ森章太郎1952年『サイボーグ009』『さるとびエッちゃん』松本零士1954年『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』つげ義春1955年『ねじ式』『ゲンセンカン主人』楳図かずお1955年『漂流教室』『まことちゃん』赤塚不二夫1956年『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』水木しげる1958年『河童の三平』『墓場鬼太郎』谷岡ヤスジ1959年『ヤスジのメッタメタガキ道講座』山上たつひこ

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    • 四十雀の独り言(りぼんの話) - 四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記

      こんにちは,四十雀です。 今回は,りぼんについて,少しつぶやかせていただけたらと思います。 いきなり♂の私が「りぼん」と書くと、面食らう方も多いかな、と思います。 ここで書きたいりぼん、それは、防御力は低いけど、全状態異常や即死等に対し耐性を持つ防具・・・はファイナルファンタジーネタですね笑 余談ですが、私はファイナルファンタジーは3、4、5、6しかプレイしてなく、りぼんにはお世話になりました・・・いや、それは脱線、ここで書きたいりぼん、防具のりぼんではありません。 そう、少女漫画でおなじみのりぼんの方です。 実は、令和3年1月、福島県福島市では、こんなイベントが開催されておりました。 りぼんの特別展です。 無論、これは私の趣味ではありません。うちの細君が見に行きたいと強く言うため、今回、見に行くことにしたのです。 ちなみに、うちの細君、世代的に、上記作品のうち、 ①ちびまる子ちゃん ➁赤

        四十雀の独り言(りぼんの話) - 四十雀の素人・初心者による週末農業(+α)日記
      • 「1回」が途中で切れてたので別にした 1回しか出てない方が熱が入ってる紹..

        「1回」が途中で切れてたので別にした 1回しか出てない方が熱が入ってる紹介も多くて、個人的には気になる漫画が多い 1回 100万人の命の上に俺は立っている、25時のバカンス、3D彼女、3x3 EYES、8月のソーダ水、AKB49 恋愛禁止条例、ALEXANDRITE、All You Need Is Kill、BANANA FISH、BARレモンハート、BASARA、BASTARD、BE BLUES、BEASTARS、BEASTERS、BLUE GIANT、CIPHER、D-LIVE、EATMAN、EDEN、Endless World、Final Phase、GANTZ、GS美神、I'll、Jの悲劇、KISSxxxx、MAGIxES、MAJOR、MOON LIGHT MILE、OZ、PALM、PEANUTS、Qコちゃん、REGGIE、RIN、Re:CREATORS、ReLIFE、SHIROB

          「1回」が途中で切れてたので別にした 1回しか出てない方が熱が入ってる紹..
        • 天才が見たい 1/2

          幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。 幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。 幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。 ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」とい

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          • 萩原遼 Ryo Hagiwara

            東京都港区生まれ。言語と数的概念の発達がべらぼうに早く早熟の天才児と期待されるも、実際に早熟なだけだったらしくその後知能が伸びることはないまま空気の読めない少年に育つ。 尾崎豊に憧れて三味線を始め、大学の後輩であるピエール小野と虎見康登をそそのかして路上演奏を開始。ユニット名は「吉田只弟」「吉田兄第」「吉田&兄弟」などの秀逸なアイディアの中から『セ三味ストリート』に決定、当初から方向性を大いに逸脱しコメディ大道芸路線を突き進んでさらに道を誤る。 そのまま東京都公認大道芸人ライセンス「ヘブンアーティスト」第一期オーディションに合格。以降、笑いが取れて、かつ、フル英語でのMCが可能ということで下手くそながらに重宝され、わけがわからないまま日本のみならず世界各地を巡業する三味線芸人となって完全に道を外れる。その他、ピエール小野のほか、廣原武美・白藤ひかりらと共に津軽三味線五重奏ユニット『我人』(

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