寺に残る戦争の痕跡 戦時中は多くの寺が銃後運動を熱心に推進した。その戦争の痕跡は地域の末寺にも残されている。それが「顕彰碑」「天牌」「戦時戒名」「奥津城」などである。戦利品の砲弾を祀ったり、大規模な防空壕が残っていたりする寺もある。戦争の痕跡を求めて全国の寺院を訪ねた。 戦地における勇士らを讃えた「顕彰碑」が今なお、残っている寺がある。顕彰碑は特に日露戦争時に多くつくられた。太平洋戦争が始まり戦局が悪化すると、顕彰碑をつくるための人材も余裕もなくなり、あまり顕彰碑はつくられていない。 能や歌舞伎の演目でも知られる和歌山県にある道成寺には、日清・日露戦争時の大きな顕彰碑がある。その顕彰碑の台座には、日露戦争時のロシア軍の砲弾が埋め込まれている。これは1904(明治37)年の旅順攻囲戦でロシア軍を撃破した時の戦利品だ。この顕彰碑の前では戦時中、陸軍主導で、戦意発揚のための追悼法要が実施されてい