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徳川光友の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 【御朱印】山田天満宮と金神社に行ってきました|名古屋市北区の御朱印 - ウミノマトリクス

    今回は、愛知県名古屋市北区にある「山田天満宮」(やまだてんまんぐう)とその境内にある「金神社」(こがねじんじゃ)に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。 山田天満宮と金神社の特徴 【御朱印】山田天満宮 御朱印マトリクス 見どころ:6.0点/10点満点中 ※個人的な意見 歴史:1672年(山田天満宮) 歴史:1746年(金神社) (創建されたとされる年) 山田天満宮・金神社マトリクス 比較しやすいようにマトリクスを作ってみたよ あくまでもこのブログとしての見解だからね 山田天満宮と金神社の特徴 山田天満宮と金神社の特徴 山田天満宮は菅原道真公を祀り、名古屋三大天神のひとつに数えられる神社です。 金神社は金運のパワースポットとしても有名です。 目次 山田天満宮と金神社の特徴 御朱印マトリクス 山田天満宮と金神社の特徴 目次 筆者プロフィール 山田天満宮と金神社の場所 山田天満宮と金神社

      【御朱印】山田天満宮と金神社に行ってきました|名古屋市北区の御朱印 - ウミノマトリクス
    • 【日本のお城】名古屋周辺のお城めぐり!行って良かったおすすめ10選 - Manpapa's blog

      日本の象徴の一つである「お城」。かつて、日本全国には2万5千以上ものお城があったと言われており、現在でも見学可能なお城は200ほど。 お城をめぐると、その建築美に魅せられるのは勿論のこと、築城の背景や当時の文化、それらに関わる人々の想いなどを感じることが出来ます。 そんなお城について、名古屋周辺で行っておきたいお城10選をご紹介します(番外編あり)。お城めぐりに興味がある方の参考になれば幸いです。 【日本のお城】名古屋周辺のお城めぐり!行って良かったおすすめ10選 1.名古屋城(愛知県名古屋市中区) 2.国宝・犬山城(愛知県犬山市) 3.清州城(愛知県清須市) 4.岡崎城(愛知県岡崎市) 5.岐阜城(岐阜県岐阜市) 6.郡上八幡城(岐阜県郡上市) 7.大垣城(岐阜県大垣市) 8.墨俣一夜城(岐阜県大垣市) 9.国宝・彦根城(滋賀県彦根市) 10.長浜城(滋賀県長浜市) 【番外編】せっかくな

        【日本のお城】名古屋周辺のお城めぐり!行って良かったおすすめ10選 - Manpapa's blog
      • 御朱印集め 山田天満宮(Yamada-Tenmangu):愛知 - suzukasjp’s diary

        尾張天神 山田天満宮 【山田天満宮】 【金神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【御朱印一覧】 【追記】 【山田天満宮】 名古屋市にある山田天満宮を参拝しました。 山田天満宮は江戸時代初期、二代目尾張藩主であった徳川光友が尾張藩の学問祈願所および名古屋城の鬼門守護神として太宰府天満宮から菅原道真の神霊を勧請し、現在の地に創建しました。 境内に入って直ぐ左手には手水舎がありましたので、身を清めました。 拝殿にてお詣りをしました。 御祭神は菅原道真となります。 狛犬の土台に注目! これは「招き猫おみくじ」のようで、これだけずらりと並んでいると可愛いですね。・・・・でも、ネズミに見えてしまうのはわたしだけなのでしょうか?(^^; 【金神社】 金神社(こがねじんじゃ) また、同境内には金神社が鎮座しています。 金神社は同町内に単独で鎮座していましたが、 昭和後期に山田天満宮に合祀されました。 小

          御朱印集め 山田天満宮(Yamada-Tenmangu):愛知 - suzukasjp’s diary
        • 変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ― - 旅ながらの日々

          玉手山遊園地…。なんと懐かしい響きだろう。 1,908年 (明治41年) に西日本初の遊園地として開園され、昭和30年代の最盛期には、年間数万人の来園者をかぞえ大変な賑わいをみせていたこの遊園地も、しかし、その後は少子化などの影響から徐々に来園者数が減少し、1998年 (平成10年) 5月、ついには惜しまれながらの閉園に至った。 現在、その跡地は柏原市立玉手山公園・ふれあいパークと装いを新たにし、多くの市民に親しまれている。 玉手山公園の魅力とは 玉手山公園の来園について アクセス 駐車場 入園料・休園日 園内案内 蛍の光 玉手山公園の魅力とは 玉手山公園 (玉手山遊園地) の魅力のひとつに、その立地をあげてもいいだろう。 北を流れる大和川と西の石川との合流地点から南にひろがる狭い玉手山丘陵には、多くの古墳が点在し、玉手山古墳群をなしている。 玉手山古墳群の範囲については様々な提言があるが

            変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ― - 旅ながらの日々
          • 御朱印集め 大縣神社(Ooagatajinjya):愛知 - suzukasjp’s diary

            大縣神社 尾張国二宮となります。 【大縣神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【御朱印一覧】 【追記】 【大縣神社】 犬山市にある大縣神社を参拝しました。 大縣神社の歴史は古く、尾張地方最古の神社と言われています。 社伝によると創建は紀元前まで遡り、濃尾平野を見下ろす本宮山山頂に鎮座していたましたが、現在の地に遷座されたとされています。 手水舎も趣がありますね。 拝殿にてお詣りしました。 現在の社殿は江戸時代初期に尾張藩主であった徳川光友によって再興されたもので、「大縣造り」と言われる特殊な様式となっています。 御祭神は大縣大神(おおあがたのおおかみ)で、「尾張国開拓の祖神」とされています。 その他にも境内には摂社である姫之宮が鎮座しています。 御祭神は玉比売命(たまひめのみこと)で、女性の守護神して祀られています。 その外にも境内には大國恵比須神社が鎮座しています。 御祭神は出雲の大国

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            • 御朱印集め 興正寺(Kousyoji):愛知 - suzukasjp’s diary

              大日如来 興正寺の御本尊となります。 【興正寺】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【興正寺】 名古屋市昭和区にある興正寺を参拝しました。 名古屋の方にとっては八事観音と言った方が分かりやすいのではないでしょうか。 興正寺の正式名は興正律寺で、高野山真言宗の別格本山となります。 創建は江戸時代前期で尾張藩2代目藩主徳川光友により「八事山遍照院興正律寺」の寺号を賜りました。以来、尾張徳川家の祈願時として歴代の藩主と深い繋がりを築き、諸堂の建立や宝物の寄進などを受け繫栄しました。 山門を抜けると五重塔があります。 江戸時代後期に建てられたもので、愛知県下に現存する唯一の木造五重塔となります。 本堂にてお参りをしました。 本堂中央には御本尊である大日如来像が安置されています。 納経所にて御朱印を頂戴しました。 【アクセス】 名古屋市昭和区八事本町78 専用駐車場あり(有料) URL:ht

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              • 11月26日は御茶壺奉献祭・口切式、いいいいチームの日、いい風呂の日、鉄分の日、ポリフェノールの日、ペンの日、いいプルーンの日、いいフォローの日、ブロッコリーの日、&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                おこしやす♪~ 11月26日は何の日? その時、そして今日何してた? 2023年(令和5年) 11月26日は御茶壺奉献祭・口切式、いいいいチームの日、いい風呂の日、鉄分の日、ポリフェノールの日、ペンの日、いいプルーンの日、いいフォローの日、ブロッコリーの日、等の日です。 ●御茶壺奉献祭・口切式(おちゃつぼほうけんさい・くちきりしき)【北野天満宮】 2023年11月26日(日) www.youtube.com ◆天下人・豊臣秀吉公が催した茶会に由来する神事 平安時代の学者でもあり政治家の菅原道真公を御祭神としてお祀りし、学問の神様としての信仰を集める。天正15(1587)年に豊臣秀吉公が盛大な茶会「北野大茶湯」を行ったことでも知られる。 毎年12月1日に行われる献茶祭に合わせて、そのときに供えられる新茶が11月26日に北野天満宮に運ばれる。御茶壺道中は10時45分頃に一の鳥居を出発して御本殿

                  11月26日は御茶壺奉献祭・口切式、いいいいチームの日、いい風呂の日、鉄分の日、ポリフェノールの日、ペンの日、いいプルーンの日、いいフォローの日、ブロッコリーの日、&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                • 御朱印集め 建中寺(Kenchuji):愛知 - suzukasjp’s diary

                  阿弥陀如来 本堂御本尊となります。 【建中寺】 名古屋市東区にある建中寺を参拝しました。 建中寺は浄土宗の寺院で、江戸時代を通じて歴代の尾張藩主の廟が設けられ祀られていました。 境内入り口には三門があります。江戸時代初期に建立され、現在に至っています。 三門とは中央部の大きな扉と左右の扉のある門のことで、扉が3つある形状の門を差します。 建中寺の三門は上層部(2階部分)が特に大きく、残念ながら立ち入ることはできませんでしたが、上層には釈迦如来像、十六羅漢像が安置されています。 山門の扉には三つ葉葵の御紋があります。さすが徳川家ゆかりの寺院ですね。 山門をくぐると、正面に本堂があります。 江戸時代に2代目尾張藩主、徳川光友が父である初代尾張藩主、徳川義直の菩提を弔うために創建しました。以来、歴代の尾張藩主は没後、ここ建中寺に廟が設置されました。 御本尊は阿弥陀如来となります。 境内にある鐘楼

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                  • 鷹一つ見付けてうれしいらご崎 - 芭蕉百句 100 haikus of Basho

                    たかひとつみつけてうれしいらごさき 貞享4年(1687)11月の作。『笈の小文』の旅で、芭蕉は、越智越人(尾張蕉門の重鎮)を伴って、三河渥美郡の保美村に隠棲していた門弟の坪井杜国を訪ねた。杜国は名古屋で米穀商を営む名家に生まれて家業に携わるが、貞享2年(1685)、当時、禁止されていた空米売買の咎で死罪となるも、尾張藩二代藩主・徳川光友の恩赦によって、渥美郡畠村へ流謫となり、のちに保美村に遷っていた。『鵲尾冠(しやくびくわん)』(越人撰)には「杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て」と記されており、掲句は、芭蕉、越人、杜国の三人が、保美村から渥美半島の突端である伊良湖岬へ遊覧した際に詠まれた句である。 東日本(太平洋側)の鷹の多くは、群れをなして一斉に伊良湖崎から初めて海を渡って対岸の志摩半島へ向い、その後は、四国、九州を経て南西諸島や台湾などで避寒する。掲句では、その群れか

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