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愛甲猛 ドラフトの検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 元「ドラ1」選手5人が明かす“裏特約”…1軍確約に実家のリフォームも(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

    2020年のドラフト会議では、支配下選手74人・育成選手49人、合わせて123人の新人選手が指名された。そのなかで、栄光の “ドラ1” は12人。 2020年の目玉として注目された、近畿大学の佐藤輝明(21)は、4球団から1位指名を受け、阪神タイガースが交渉権を獲得。一方、早稲田大学の早川隆久(22)も4球団が競合したすえ、東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得した。 現在、ドラ1(大卒以上)は、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円程度が “相場” となっているが、かつては青天井の時代もあった。10億円超の大金が飛び交ったこともあったという。そこで今回、かつてのドラ1選手たちに、入団交渉の舞台裏を聞いた。 まずは「コンプライアンス」という言葉すらなかった昭和時代。1980年、当時のドラ1高校生では最高額となる、契約金4800万円、年俸450万円でロッテオリオンズ(当時

      元「ドラ1」選手5人が明かす“裏特約”…1軍確約に実家のリフォームも(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
    • 元祖“甲子園のアイドル”愛甲猛が「野球コント」を辛口批評「お笑いはアホみたいにたくさん観てます」 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

      今をときめくお笑い芸人たちの「野球コント」は、元プロ野球選手の目にどう映るのか? そのアウトローなイメージから“球界の野良犬”と呼ばれた元プロ野球選手・愛甲猛氏がコントを語る前代未聞のインタビュー、ここに開幕! 【関連】なぜ多くの芸人が「野球」をコントにするのか──“野球ネタ”の未来を語る徹底討論(ゾフィー上田×ザ・マミィ林田×吉住) 1年生にして強豪・横浜高校野球部のエースとなり甲子園に出場し、3年時には同校にとって初となる夏の甲子園優勝へと導いた。その後は千葉ロッテマリーンズ(当時:ロッテオリオンズ)に入団。途中で野手へ転向し、ゴールデングラブ賞獲得、さらに535試合連続フルイニング出場という当時のパ・リーグ記録を樹立──野球ファンならすぐわかるだろう。“球界の野良犬”愛甲猛氏のことだ。 愛甲 猛 (あいこう・たけし)1962年生まれ、神奈川県出身。横浜高校のエースとして1980年夏の

        元祖“甲子園のアイドル”愛甲猛が「野球コント」を辛口批評「お笑いはアホみたいにたくさん観てます」 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
      • ファミスタが流行ってた頃のカルビーのプロ野球チップスの野球カード - 遊びの教室とまとくんブログ

        プロ野球カードを集めていた1989年 プロ野球の開幕が6月19日に決定したということで スポーツのある日常が少しずつ戻ってくることに、心躍らせているねずみです。 そこで開幕前の今のうちに身の回りの雑務を済ましてしまおうと 気合いを入れて教室中の掃除をしておりましたところ 子供のころ集めていたプロ野球カードが、ごっちゃり出てきました。 もっとも当時の自分のお小遣いで買える程度の量ですが。 個性豊かな野球選手たちをカードで集める楽しさを思い出しました。 左の方にラモス瑠偉選手がおりますね。 って、ラモスはサッカー選手や(^o^)/ そういえばJリーグカードも集めてたからなあ。 カルビーの小さいプロ野球カード いろいろなカードがごちゃ混ぜになっていたので種類別に整頓したところ 大きく分けて6種類のカードがありました。 4タイプのプロ野球カード・MLBカード・Jリーグカードです。 その中から今回は

          ファミスタが流行ってた頃のカルビーのプロ野球チップスの野球カード - 遊びの教室とまとくんブログ
        • 元「ドラ1」選手5人が明かす“裏特約”…1軍確約に実家のリフォームも - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

          2020年のドラフト会議では、支配下選手74人・育成選手49人、合わせて123人の新人選手が指名された。そのなかで、栄光の “ドラ1” は12人。 2020年の目玉として注目された、近畿大学の佐藤輝明(21)は、4球団から1位指名を受け、阪神タイガースが交渉権を獲得。一方、早稲田大学の早川隆久(22)も4球団が競合したすえ、東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得した。 【関連記事:ドラフトで“本命選手”を19人も外している巨人…プロ入り後は“外れ1位選手”とどっちが活躍?】 現在、ドラ1(大卒以上)は、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円程度が “相場” となっているが、かつては青天井の時代もあった。10億円超の大金が飛び交ったこともあったという。そこで今回、かつてのドラ1選手たちに、入団交渉の舞台裏を聞いた。 まずは「コンプライアンス」という言葉すらなかった昭和時代

          • 愛甲猛がドラフト密約説の真相を告白「すべてオヤジが裏で動いてた」

            根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実 連載第3回 証言者・愛甲猛(3) 前回の記事はこちら>> 1980年11月26日、東京・九段のホテルグランドパレスで第16回ドラフト会議が行なわれた。同年の最大の目玉だった東海大の原辰徳は1位指名で大洋(現・DeNA)、日本ハム、巨人、広島が競合。抽選の結果、巨人が交渉権を獲得した。 一方、大洋入りを希望していた横浜高の愛甲猛は、ロッテから1位指名。「大洋でなければ社会人のプリンスホテルに行く」と決意していた愛甲だったが、結局、ロッテに入団する。 1980年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団した愛甲猛 その経緯には、愛甲にとって父親代わりで「オヤジ」と呼んでいたプリンスホテル総支配人、幅敏弘の存在があった。幅は当時、西武監督と管理部長を兼任する根本陸夫を裏で動かし、新生ライオンズの戦力補強に暗躍していた。根本でさえ「オヤジ」と

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