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斯かる 意味の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • ソニーグループポータル | 設立趣意書

    1946年(昭和21年)1月、ソニーの創業者のひとり、井深 大(いぶか まさる:ファウンダー・最高相談役)が起草した。 「東京通信工業株式会社設立趣意書」 ※東京通信工業株式会社は、1958年(昭和33年)に社名を現在のソニー株式会社に変更した 東京通信工業株式会社設立趣意書 - 井深 大 戦時中、私が在任していた日本測定器株式会社において、私と共に新兵器の試作、製作に文字通り寝食を忘れて努力した技術者数名を中心に、真面目な実践力に富んでいる約20名の人たちが、終戦により日本測定器が解散すると同時に集まって、東京通信研究所という名称で、通信機器の研究・製作を開始した。 これは、技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった。戦時中、すべての悪条件のもとに、これらの人たちが孜々(しし)として使命達成に努め、大いな

    • 実は両者ミスだらけ?本当はこうだった「鳥羽伏見の戦い」勝利の影に隠れた意外な真相とは | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

      はじめに 一般に流布されている通説と現実との乖離が大きい幕末維新史のなかでも、戊辰戦争の発端に関することは、最も誤解が多いと思います。 戊辰戦争の「戊辰」とは、慶応4年=明治元年の干支で、この年の正月早々に大坂から北上した旧幕府軍と、京を根拠地とする新政府軍とが激突した、鳥羽伏見の戦いをもって「開戦」とみなしています。 しかし、その年越し前に発生した江戸薩摩藩邸焼き討ち事件も、旧幕府側は正規軍を動員して軍事行動をとっているため、事実上の開戦だと考える研究者もいます。 それはさておき、一般に認知されている通説とは、学術的に確定された定説のことではありません。この記事では、誤解に基づいた通説によらず、学術的に正しいことを書いていきます。 また、鳥羽伏見の戦いをもって戊辰戦争勃発とします。このとき旧幕府軍が宣戦布告に相当する、薩摩藩討伐の趣旨を述べた「討薩ノ表」を携えていたからです。薩摩藩邸焼き

        実は両者ミスだらけ?本当はこうだった「鳥羽伏見の戦い」勝利の影に隠れた意外な真相とは | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
      • 第二次世界大戦前における「植民地」言説を巡る一考察 木村 幹

        103 はじめに 英語の文献では、日韓併合のことを「アネ クセイション」 (annexation)と表現する。 これは「植民地化」を意味する「コロナイゼ ーション」 (colonization)とは概念が異なる。 前者は従属関係ではなく対等という意味合 いであるが、後者には征服や略奪が伴ってい る。 前述したように、日韓併合について、ほと んどの英語文献では「アネクセイション」と 書かれている。韓国、台湾併合時代に、帝国 大学がそれぞれ韓国と台湾に設立されている ことからも、植民地支配ではなく併合であっ たことは明らかだろう1 。 慰安婦問題や徴用工問題、更には歴史教科 書問題や靖国参拝問題。所謂「過去の歴史」 を巡って対立する両国の議論において、その 根幹を占める議論の一つがそもそもの日本に よる朝鮮半島支配をどの様に考えるかであ る。韓国憲法前文の文章に典型的に表れてい る様に、韓国に

        • 終戦前後の中国古典学者|棋客

          最近、太平洋戦争真っ只中の時期に、中国古典を研究する学者たちがどのような発言をしているのか、妙に気になってきました。日本と中国が戦争状態に突入する中で、中国古典を研究する学者がどのような態度を取ったのかということは、現代に同じく中国古典の研究を志す私も知っておかなければならないと考えたからです。 中国史・東洋史の学者に関する動きであれば、私でも聞いたことのある話がいくつかあります。例えば、白鳥庫吉は「満鮮地理歴史調査部」を立ち上げて満州や朝鮮に関する歴史・地理に関する研究を進めましたが、これは当時の国策(満州・朝鮮の支配)にコミットする目的がありました。 白鳥庫吉の学問については、吉澤誠一郎氏の「白鳥庫吉と日本における東洋学の形成」という講義がオンラインで公開されていますので、ぜひご覧ください。 また、「満鮮地理歴史調査部」でどのような研究が行われたのか、また参加した研究者が「満州史」「朝

            終戦前後の中国古典学者|棋客
          • ベルギー人の明治維新評 ―昭和二年の日本にて― - 書痴の廻廊

            この時代、「デモクラティック」という単語が日本人の口癖のようになっていた。 護憲運動華やかなりし、大正末から昭和初頭にかけてのあの頃。猫も杓子もデモクラシーを熱唱し、それさえ実現したならば不況の暗雲は一掃されて、給料も上がり、うまいものがたらふく喰えて、病魔という病魔はきれいさっぱり駆逐され、平均寿命は飛躍的に上昇し、女にももて行く先々でちやほやされて、いやもう世の中はバラ色、夢色、順風満帆有頂天――そんなふうに印象されていたあの時代(・・・・)。 海外へ流出した日本人の多くがそのノリを、向こう側でも利かせまくった。 知識人と際会する機会に恵まれるたび、 「某氏の如き、あんなにデモクラティックな方で」 とか、 「この制度……こんなにもデモクラティックである」 とか妙な世辞を口にして、自分が如何にデモクラシーの敬虔な信徒であるかをアピールし、ときには頬を染めてまで陶酔を露にする有り様が、ベル

              ベルギー人の明治維新評 ―昭和二年の日本にて― - 書痴の廻廊
            • “忌避申立書に対する裁判の要求”レポ❸―5【裁判懈怠告発:青木国賠訴訟】・・控訴審:準備書面(二)・・ - 本人訴訟を検証するブログ

              *令和2年3月13日付けレポ❷-1にてレポした如く、 本件(231号)は、小倉支部の裁判懈怠を告発する訴訟であり、 被告は小倉支部長の青木 亮と国、担当裁判官は植田智彦です。 *令和2年8月9日付けレポ❷-1-1にてレポした如く、 担当裁判官:植田智彦は、記載内容虚偽の第1回口頭弁論調書を作成したので、 「口頭弁論調書記載内容への異議申立書」を提出しました。 *令和2年8月24日付けレポ❷-1-2にてレポした如く、 植田智彦は、担当を回避すべきですが回避せず、 令和2年8月24日、第2回期日を開きましたので、口頭で忌避を申し立て、退廷後、「忌避申立書」を提出しました。 *令和2年10月22日付けレポ❷-1-3にてレポした如く、 小倉支部は「忌避申立書」を却下したので、即時抗告、 福岡高裁は即時抗告を棄却したが、特別抗告は無意味不経済ですのでせず、 その後、期日呼出状がFAX送付され、 令和

                “忌避申立書に対する裁判の要求”レポ❸―5【裁判懈怠告発:青木国賠訴訟】・・控訴審:準備書面(二)・・ - 本人訴訟を検証するブログ
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