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月照 西郷の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 『鎌倉殿の13人』とセクシャルマイノリティ表象〜大河での同性間の愛の表現の画期性とその限界 - Topaztan’s blog

    ※論をわかりやすくするためにドラマのキャプチャ画像を載せていましたが、本文章が著作権法上の例外事項である「批評」に当たらない可能性があることを考慮し、削除させて頂きました。2022/1/8 ※「夢のゆくえ」のところで「画面からは千世がはけて実朝と泰時だけに」→「千世が右隅に行き顔が映らなくなり後ろ姿になり」に訂正しました。2023/2/14 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』において、源実朝が異性に性的に接することができなく、かつ同性に想いを寄せる者であるという描写がなされました。しかも彼が恋する相手は、主人公義時の息子泰時。ガッチリとドラマの本筋に関係する人間関係です。練られた脚本はもちろん、演じた役者さんたちが大変見事に、繊細に演じてくれたおかげで、また凝った演出が行われたこともあって、本当に印象深いものになりました。 これは大河ドラマでの同性間の愛を描いたものとしては、大変意義

      『鎌倉殿の13人』とセクシャルマイノリティ表象〜大河での同性間の愛の表現の画期性とその限界 - Topaztan’s blog
    • 西郷隆盛蘇生の家、鹿児島湾に入水するも助けられる - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

      鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。 国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える 安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷隆盛)と月照(げっしょう)は身を投げた。海から救い出され、ここに運び込まれた。西郷吉之助は息を吹き返す。 安政の大獄で追われる身となる 鹿児島湾に入水する 桜島がよく見える場所 なお、日付については旧暦で記す。 安政の大獄で追われる身となる 安政5年(1858年)、幕府では将軍継嗣問題で揺れ動いた。紀伊藩主の徳川慶福(よしとみ、のちの徳川家茂)を推す者たち(南紀派)と、一橋家の徳川慶喜(よしのぶ)を推す者たち(一橋派)とが対立していた。 鹿児島藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)は一橋派にあった。西郷吉之助は島津斉彬に命じられて動く。左大臣の近衛忠

        西郷隆盛蘇生の家、鹿児島湾に入水するも助けられる - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
      • 『西郷隆盛』海音寺潮五郎、『翔ぶが如く』司馬遼太郎|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談(1/4) - 丸谷 才一による対談・鼎談 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

        丸谷 今日は、これまでのようにまず片方を論じてから次の本に移るのじゃなくて、両方一緒に論ずることにします。 海音寺さんの『西郷隆盛』は伝記である、と自分で性格規定をしています。同時に幕末維新史も兼ねていて、『幕末・維新史と西郷隆盛』になるだろうといっている。昭和三十六年に書き始めて昭和五十二年に亡くなられるまで書き続けた。 海音寺さんは小説的虚構を排して実証的な筆致で書いており、描写よりは叙述で話を運ぶし、推定や想像はすべてその旨を明記しています。そのこだわり方は神経質なくらいで、それが非常におもしろい。 たとえば安政四年の四月、薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)が江戸から帰国する途中、京の御所に立ち寄り、玉砂利にひざまずいて皇居を伏し拝んだ。そのあと、海音寺さんの書き方ではこうなる。 〈皇居は安政元年の四月に炎上して、この頃はもう再建されてはいたが、江戸城の宏壮におよぶべくもない。尊王はこ

          『西郷隆盛』海音寺潮五郎、『翔ぶが如く』司馬遼太郎|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談(1/4) - 丸谷 才一による対談・鼎談 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
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