目で見て、耳で聞き、肌でふれる。味覚や臭覚を含め、私たちは、常に五感を駆使して、目の前の現実を捉え、リスクを回避しながら生きています。なかでも「音」はときに視覚以上に動作や意思決定に影響を与え、長い時を経てもなお記憶に刻まれます。懐かしい音、騒音、誰かを救済し、自らを癒す音についての雑感。 時代と暮らしを象徴する音 向田邦子のエッセイ集「夜中の薔薇」(講談社文庫)のなかに「刻む音」という短い一文があります。 朝、目を覚ますと台所の方から必ず音が聞こえてきた。 母が朝のおみおつけの実を刻んでいる音である。 実は大根の千六本であったり、葱のみじんであったりしたが、包丁の響きはいつもリズミカルであった。 目を覚ますと音が聞こえたと書いたが、この音で目が覚めたのかもしれなかった…。 昭和初期の話ですが、大正、昭和以降に生まれた日本人のおおよそは、こうした音の記憶を持っているはずです。 現代の家の朝