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『衣食住語源辞典』p.55,57 「おにぎり」の項に「携帯や分配を容易にするために適当量を握り固めた飯。握り飯、おむすびともいう。」と記載されています。 「おむすび」の項にも同様の記述があり、加えて「おにぎり・握り飯を意味する女房詞である。」とあります。語源解説に「お結びは、おにぎりや握り飯に比べ、表現の仕方が婉曲的なので、いくぶん丁寧な語感がある。寿司にニギリはあるが、ムスビはない。ニギリは上等で、ムスビは飯だけの粗末な食事という響きがある。」と記載されています。 『日本国語大辞典 第3巻、第4巻』p.48,698 どちらの語も「にぎりめし(握飯)の丁寧語」と記載されています。「おにぎり」については、「もと、女性・子どもの語」の一文もあります。 当館の料理や習俗のコーナーでは、記載のある本が見つかりませんでした。 『広辞苑 第6版』、『日本語大辞典 第2版』、『角川類語新辞典』などに簡単
①『よくわかる最新プラスチックの仕組みとはたらき』に19世紀中頃、アメリカでビリヤードが大流行したため、ビリヤードの玉に使われている象牙が不足し、象牙に代わるビリヤードの玉の開発に1万ドルの懸賞金がかけられたこと、1869年にアメリカの印刷業者ジョン・ハイアットがニトロセルロースに樟脳を混ぜることで象牙に代わるセルロイドを作り出したこと等の記述がある。ただし、セルロイドは天然のセルロースを原料としているため、厳密には人工的に作り出したプラスチックとは言いにくい面があるとし、本当の意味で初めて人工的に作り出したプラスチックは、アメリカの化学者ベークランドが開発したフェノール樹脂(ベークライト)であるとする。 同書P.22には「プラスチックの工業化年表」として、プラスチックの名前と、工業化開始年、初めて工業化に成功した国の一覧がある。 ②『身近なプラスチックがわかる』の「プラスチックの歴史と発
大学・学会等の団体が、原則として所属する教官または会員等の研究成果発表のために、その学会・団体等の刊行する機関誌。 「紀」は「順序を立ててしるす。かなめ」という意味で、「要」は「たいせつな物ごとのしめくくりとなるだいじな所」ということ。 「紀要」とは、「事がらの要点をしるしたもの」を意味し、「大学・研究所などで定期的に出す研究報告書」を表わすものとされている。
海外のスタジアムグルメの特徴、歴史、日本との比較について書かれている論文や新聞記事などを探している。国やスポーツの指定はない。 断片的ですが、ラグビーやサッカー、野球において日本と海外の観戦文化の違いが垣間見える記事や考察がありました。 ①『日本経済新聞』2019/9/25大阪朝刊 社会面16ページ「観戦文化の違い誤算、完売で苦情、食品持ち込み可に、食も楽しむ日本、試合前後の海外(ラグビーW杯2019)」によれば、海外ではラグビーやサッカーの試合前後に会場周辺の店にファンが集まり、食事をしながら盛り上がるケースが多いのに対して、日本ではプロ野球やJリーグにおいて球場限定の弁当や軽食が人気で、キッチンカーを呼び豊富なメニューを取り揃えているスタジアムがある旨記述があり、試合と食事を一緒に楽しむファンが多い日本と試合の前後に食事を済ませる海外の文化の違いについて触れられています。 ②地球の歩き
「ことばはどうやってうまれたの?」という小1の息子の質問にこたえられるような本を探しています。どのように調べたらいいでしょうか。言語なのか歴史なのか、どんな分野の本を探せばいいのかも分かりません。普段から時々大人びた質問をします。私が読んで子どもに紹介してもいいし、子ども向けで一緒に読める本がもしあったらいいなと思います。 ●ことばの誕生 〇児童書 *難しい場合は大人が一緒に読んであげてください。 ・『それ日本と逆!?文化のちがい習慣のちがい 第2期2』須藤健一/監修 学研プラス 2017.2 ISBN:978-4-05-501222-5 *P40“ことばはどのようにして生まれたの?” ・『ことばのふしぎなぜ?どうして? 1・2年生 』村山哲哉/監修 高橋書店 2012.11 ISBN:978-4-471-10322-4 *P12~15“じゃあ、言葉を最初に話した人はだれ?”“言葉のはじま
・『新しい国語表記ハンドブック(第九版)』のp260「様々な符号の使い方」の項目に3点リーダーの意味と用例が掲載されている。3点リーダ一つでの用例に続き、「又は二つ重ねる」という説明。 ・『朝日新聞の用語の手引 改訂新版』2019年発行のp163「ダッシュ(単柱)とリーダー」の項目には、「原則として2文字分にする」と表記されている。『朝日新聞の用語の手引 '05-'06年版』には記述は見つけられなかったが、3点リーダが二つ続いて表示されている部分が各所に見られた。 ・2005年発行の『読売新聞 用字用語の手引き』の「句読点と符合」の項目のp130には、「リーダーは必ず2字分で使」うという表記がある。2020年発行の第6版では「リーダーは2字分で使い」と、「必ず」の表記が無くなっている。 ・『編集校正小辞典』p208「リーダ」の項目には、二つつなげるという表記はないが「全角3点リーダ(……)
親が子どもに、「お前は橋の下で拾った子どもだ」「川で拾ってきた」と言うことがあるが、橋の下や川が民俗学的にどういう意味を持つのか、また、そのような場所から子どもを拾うことの民俗学的な意味を知りたい。 以下の資料と情報を提供した。 1 図書 『現代民俗学入門』(佐野賢治[ほか]編 吉川弘文館 1996) p127-137「III 人と人との絆 2「家」と血縁幻想」 p128-130 橋の下から拾われることについて民俗学的解釈あり。 『子供の民俗学 子供はどこから来たのか』(飯島吉晴著 新曜社 1991) p42-63「二 異物としての子供 1出産をめぐる儀礼と伝承」 p42-44に、川と子どもの関係性についての記述あり。 p45「「お前は川から拾われてきたんだ」という伝承は、桃太郎や瓜子姫などの昔話との関連も指摘されており、生命や魂の原郷としての水界といった民衆の霊魂観や世界観、さらには子供
「猫送り」とは猫の祟りを払うために行われる呪法のこと。日本各地に伝わる厄神を追い払う習俗・行事である「神送り」の一種とされる。「神送り」は総称で、「虫送り」「疱瘡神送り」「狐送り」「人形送り」等、払うものや依り代の名が付けられている場合が多い。 岩手県江刺郡梁川村(現奥州市)で行われていた「猫送り」の事例として、猫に祟られて病気になったときなどに「猫」という文字を書いた板を四辻に立てて厄払いをしたとある。人々はこの板にさえ近付くことを怖れ、遠回りをしたという。 当館所蔵資料のうち、下記資料に「猫送り」の記述を確認。 ・『定本柳田国男集 第13巻』柳田 国男∥著 筑摩書房 1963 p.460「ネコオクリ」 ・『猫の民俗学』大木 卓∥著 増補 田畑書店 1979.9 p.217~227「猫を捨てる法」 >p.223~225「猫捨ての辻」 ・『図説憑物呪法全書』豊嶋 泰国∥著 原書房 2002
「積読(つんどく)」という言葉はいつから使われているのか。江戸時代からあるとインターネットで見たが、出典がわからない。 積読について、残念ながら初出は特定できなかったが、江戸時代の用例は複数見出せた。 調査過程と主な資料を以下に紹介する。なお、資料1,2は都立多摩図書館所蔵資料、それ以外の資料は都立中央図書館所蔵資料である。 また、「国立国会図書館デジタルコレクション」( https://dl.ndl.go.jp/ )において、資料1は図書館・個人送信、資料10はインターネット公開されている。 まず、手がかりを得るためにGoogleをキーワード<積読 江戸時代>で検索すると、情報1の個人ブログ記事が見出せた。 情報1 「「積ん読」の語誌」(OKAJIMA_Akihiro’s blog) https://okajima-akihiro.hatenadiary.jp/entry/2009010
おやじギャグはどうしてくだらなく、寒いのか。なぜ、テンションを下げたり意気をくじいたりすることがあるのか。 このようなことを解説している本や研究はあるか。どのような学問分野で研究されているのかも知りたい。 都立図書館蔵書検索やオンラインデータベースでキーワード<おやじギャグ><親父ギャグ><オヤジギャグ><男性><だじゃれ><ユーモア><若者><苦手><嫌い>等のキーワードをかけ合わせて検索し、ヒットした資料や情報を調査した。また、俗語辞典などの辞典類を調査した。 インターネット情報の最終アクセス及び調査日は2022年6月30日。 1 「おやじギャグ」の定義 情報1、資料1、資料4による定義では、この言葉自体がすでに「おもしろくない」「つまらない」というニュアンスを含んでいる。 情報1「デジタル大辞泉(コトバンク)」 「親父ギャグ」の項( https://kotobank.jp/word/
昔の貨物専用「隅田川駅」は、線路と線路の間がドックのような入り江になっていたと本で読んだ。それがわかる写真や地図と現在の様子がわかる写真や地図とを比較して見てみたい。 【資料1】から所在地と昭和36年から舩渠の埋め立てが始まったことがわかったので、比較するための資料として以下を紹介した。 明治30年頃から昭和36年に埋め立てがはじまるまでの地図【資料2】大正5年・昭和4年、【資料3】明治44年 埋め立て後の地図【資料4】昭和56年、【資料5】平成5年、【資料6】令和元年、【資料7】昭和42年 駅ができる前の様子がわかる地図【資料3】明治13年 1 『平成の東京12の貌』を確認する。 「JR貨物「隅田川駅」のいま」p.296に「(前略)線路の突端は、本当に隅田川に接していた。それどころか、線路と線路の間にはドッグのような入り江があり、貨車と船が荷物を直接受け渡せる構造だったのだ」とある。それ
第二次世界大戦中、横浜市金沢区に軍需工場があったか知りたい。 また、その工場で学徒動員があったか知りたい。 第二次世界大戦中、金沢区に以下の大規模な軍需工場が存在し、各工場で学徒動員が行われていた記録を確認しました。 ・海軍航空技術廠支廠 ・石川島航空工業株式会社 ・日本飛行機株式会社富岡製作所 ・大日本兵器株式会社富岡製作所・湘南工機工場 ・株式会社日本製鋼所横浜製作所 また、軍需関連の中小工場として、以下の工場が存在したとの記述を確認しました。 こちらについては、学徒動員に関する記録は確認できませんでした。 ・山下鉄工所 ・葛谷商店金沢工場 ・三昌電気製油研究所 ・永瀬鋳造所 ・桐谷工作所 ・三陽製作所 ・湘南軽合金鋳造所 ・金沢工業 詳しい記載のある資料は以下の通りです。 1 『横浜金沢の戦跡』横浜金沢の戦跡を調査する会/編 横浜金沢の戦跡を調査する会 2012.7 p.6-7「海軍
作家星新一の海外評価と、星新一に影響を受けた海外の作家について調べられる書籍などがあれば教えてほしい。 星新一の影響を受けた海外の作家についてはわからなかった。 星新一作品の翻訳についての記述が海外評価につながると考え、以下の本を紹介した。 (1)『たくさんのタブー』星新一/著 新潮社 1986年 p288~296 解説「星新一 億の読者をもつ作家」(深見弾) 少なくとも363点(延べ641件)の作品が20の言語に翻訳されていることや、各国での翻訳事業などについて書かれている。 (2)『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月/著 新潮社 2007年 p303~304 「ボッコちゃん」が英訳され、「ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション」1963年6月号に日本人のSF作家として初めて掲載されたことが記載されており、英訳に関するエピソードも読むことができる。 p403~404英語やロ
ミステリー小説のトリックについて、世界で一番初めに「叙述トリック」を用いたミステリー小説を作った作家は誰か。またその作品名も知りたい。 また、日本で「叙述トリック」が広まるきっかけとなった、ミステリー小説の作家名・作品名も合わせて知りたい。 1.世界初の「叙述トリック」の作品 『海外ミステリー事典』の叙述トリックの項によると、スウェーデンの作家ドゥーセの『スミルノ博士の日記』が最初とされています。 2.日本で叙述トリックが広まるきっかけとなった作品 『日本ミステリー事典』の叙述トリックの項では、早くに叙述トリックを使った有名な作品としてクリスティの『アクロイド殺人事件』をあげ、「しかし同時に、このトリックはアンフェアであるという議論も起り、世界的に大きな反響を巻き起こした。」とあります。 『アガサ・クリスティー百科事典』では、この作品の日本における翻訳について、戦前すでに翻訳されていた[昭
ズボンのチャックのことを「社会の窓」というが、いつどのように使われ始めたのか。また最近では聞かなくなったが使われなくなったのか。 発祥については、以下の資料に掲載がありました。 【資料5】「しつこく問います「社会の窓」(明るい悩み相談室)」(『朝日新聞』1991年1月13日)p18 新聞読者から、自身の父親が言い始めた言葉で、昭和27年に中学の社会の先生のチャックがいつも開いていたのを「見ろ、また社会の窓、前をあけてら」と言っていたのが元である、との投稿が寄せられたとある。 これは【資料1】『日本俗語大辞典』の記載「もと男子学生用語」とも合致する。 【資料2】『俗語発掘記消えたことば辞典』等にラジオ番組を由来とする説も掲載されているが、【資料3】『20世紀死語辞典』にあるとおり、なぜかという理由までは書かれていない。 また、使われなくなったことについては、1997年発行の【資料4】『世紀末
墓場の歴史について知りたい。 墓石が立ち並ぶようになったのはいつごろか。日本と海外を比較したい。 ずっと墓場があるわけではなく、スウェーデンなどでは25年ごとに埋め直して新しい墓を建てると聞いた。 棺の形や棺桶の違いについては不要。 ●その質問の出典や情報源、調査済み事項など ひとり死時代のお葬式とお墓 墓場の歴史について記載がある資料を紹介。 1~5については日本の墓・墓地についての記述あり。 6~9については海外の墓・墓地についての記述あり。 1『現代人のための葬式とお墓の日本史』(古川順弘著 新谷尚紀監修 洋泉社 2017.5 請求記号:S385.6/G 資料ID:1112477607) 2『日本人は先祖をどう祀ってきたか』(武光誠著 河出書房新社 2018.6 請求記号:385.6/NI 資料ID:1112243934) 3『墓のはなし』(福原/堂礎著 法蔵館 2003.4 請
参考資料1『福岡あるある』p.26 「「全体座れ!」の掛け声に全員一斉に「ヤー!」と言う 体育の時間、「座れ」や「立て」の掛け声に、「ヤー」と言うのが一般的。また、駆け足の時、「全体止まれ」の掛け声の後、全国的には「1、2」で止まるが、福岡では「1、2、3、4、5」と言いながら足踏みして止まる。」とある。 参考資料2『福岡共和国のオキテ100カ条』p.148-149 「体育の時間、ヤーと言って座る。 止まるときは、5カウント。それで育ったので、イチニサン、だと止まり切れずにこけちゃうよね。」とあり、参考資料1と同内容の記述が続く。 参考資料3『ウィ・キャン・スピーク福岡ことば』p.69-70 「著者の観点をあえて付け加えるならば、この掛け声と同じものを、とある場で聞いたことがあります。博多衹園山笠の追い山のときです。タイムを争うピリピリしたスタートのとき、「5秒前」のアナウンスとともに、「
日本語の特定の語彙について、文献上での初出を探す際は小学館の『日本国語大辞典』(※【資料1】)の用例をみるのが一つの目安とされています。 九州大学で契約しているデータベース「Japan Knowledge」にも収録されていますので、以下のページから電子的に検索していただくことも可能です。 まずはこちらを使って検索してみてください。 ----- ・【資料1】 ・Japan Knowledge - 日本国語大辞典 第二版 凡例 https://japanknowledge.com/contents/nikkoku/hanrei08.html (2022/1/14確認) ----- 【資料1】の初出例はあくまで辞典編纂時に確認された資料群の中で最も古いと思われたものですので、まったく別のところからさらに古い用例が見つかる場合もあります。 一歩進んでそうしたものを探されたいようでしたら、以下のよう
いずれもラテン語の注釈記号 op. cit. = opere citato 前掲(書・論文) ibid. = ibidem 同前(書・論文) 注釈記号一覧表 論文作成の技術 http://www.succ.soka.ac.jp/~tnakano/sign.html (2009/12/09確認) http://nakanozemi.fc2web.com/sign.html (2009/12/09確認) 学術論文の技法 / 斉藤孝, 西岡達裕著 新訂版 日本エディタースクール出版部 2005 ISBN:4888883521 p.135
単位についての辞(事)典類を調べたところ、資料1,2にミルおよびパーミルの定義が記載されていましたので紹介します。 【 】内は当館の請求記号です。 資料1 二村隆夫 監修. 丸善単位の辞典. 丸善, 2002.3 【M2-G163】 p.782に、角度の単位として「ミル」の項目があり、(1)ラジアンの1000分の1、(2)砲兵ミル、(3)歩兵ミルという異なる3種類の角度が紹介されています。(2)は「円周の6400分の1の弧に対して張る角度」、(3)は「1000mの距離で1mが張る角度」と定義されています。 また、「パーミル」に関しては、p.267で「鉄道線路の勾配の単位.水平距離1000mに対して何m上るないし下るかを表わす」と説明されています。 資料2 Jan Gyllenbok. Encyclopaedia of historical metrology, weights, and m
日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。 参考になる資料を紹介してほしい お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨さを訴え
「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」が織田信長、「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」が豊臣秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」が徳川家康の句とされている。 1.『世界人物逸話大事典』(朝倉治彦編 角川書店 1996年)で、「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の項を確認するが、該当の句については記載なし。 2.『故事・俗信 ことわざ大辞典』(尚学図書編集 小学館 1982年)の「総語彙索引」で「ほととぎす〔杜鵑・時鳥〕」を引くと、「鳴くまで待とう時鳥」があり、当該ページp844に、「「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」を織田信長、「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」を豊臣秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」を徳川家康の句とし、それぞれの武将の特徴である短気、工夫、忍耐を時鳥への対応をもって表現したもの」とある。また、用例として「甲子夜話」53が挙げられている。 3.『甲子夜話(東洋文庫)』第4巻(松浦静
イソップ童話にあるレンガ職人の話をコピーしたい。ビジネス書などで取り上げられる寓話として有名。すぐ欲しいので、今四谷になければ不要。児童書架のイソップ童話の本は既に見たが収録されていなかった。ネットの情報ではなく本を探している。 ①図書館では回答不能。 ②当時の校長先生が校長会で生徒指導のために創作した話とのこと。イソップのような寓話にアレンジはしたが、グリム童話やイソップ寓話に載っている元話はないとのこと。ネットや講演で出回っているのは卒業生などがブログなどで広めたのではないかとのことだった。 寓話=教訓を目的とした短いお話 ①[リサーチナビ]キーワード<イソップ>&<レンガ>で検索。該当なし。[google]キーワード<イソップ>&<レンガ職人>で検索。作品名は「三人のレンガ職人」の可能性があることが判明。 図書館システムで検索、件名<レンガ職人>で検索。ヒットなし。参考資料『集英社世
正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続けたものを見たが、意味のつながりがわからない。解説してある資料はあるか。 「それにつけても金の欲しさよ」は、金欲し付合(つけあい)と言われるもので、連歌でどんな上の句につけてもそれらしく聞こえるという。江戸中期に流行した。前半の句との関連はない。 古い記録では、藤原行定著『雑々拾遺 二』(1695(元禄8)年)に山崎宗鑑(1465?-1553?)(連歌師・俳諧師)が使ったことが記されている。『雑々拾遺』は早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧可能。 このエピソードは、向坂咬雪軒「老士語録」(1731(享保16)年序)にも書かれており、天野政徳(1784-1861)(国学者)が随筆集『天野政徳随筆』(刊年不明)の中で「宗鑑の句」と題して「老士語録」を引いて紹介している。『天野政徳随筆』は『日本随
山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について、昭和の初めごろの雑誌において、実際に女丁持ちをしていてこの5俵担ぎを行って写真撮影された女性がインタビューに答えており、「撮影のために行っただけで、普段はやらない。上からどんどん積まれて一歩も動けなかった」と答えていたという話を聞いたのですが、出典がわかりません。なんらか探し出す方法はないでしょうか。 ご照会文にある、女丁持ちのインタビュー記事と同内容と思われる記事が、下記新聞(資料1「山形新聞マイクロフィルム 昭和59年9月」)に掲載されています。 発行は昭和59年9月で、お尋ねにある「昭和の初めごろの雑誌」ではありませんが、紙名及び記事の概略等を下記にお知らせします。 <紙名及び掲載箇所> 山形新聞 昭和59年9月29日(土曜日) 朝刊 10面 庄内版 <見出し> しょうない散策 山居倉庫と女仲仕 米5俵を担ぐ? 観光写真、実は3俵」 <記事の
明治以前からあるようだが、開始時期ははっきりしない。廃止時期も一定ではないようではっきりしなかった。 開始時期について 「和本の時代から見られる我が国独自の慣行であって(略)」 『出版事典』布川 角左衛門/[ほか]編集 出版ニュース社 1971.12 資料番号10019632 検印の項pp127-128 「著作権法施工制(明治三二年)(1899)一条「著作権法第四十八条第1項により複製物を発売頒布せんとする者〈略〉検印を申請すべし」 『日本国語大辞典』第4巻 小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001.4 資料番号1006921637 P1453 検印の項 廃止時期について 1970年ごろにはなくなりつつあったことがわかった。 「近来は著作権出版権の思想が普及し、また著作者の発行者に対する信頼度も高まり、発行者が印税計算にも公正な責任をもつに至って検印はなくなりつつある」 『出版事典』布
(1)房総の「総」が分割されたとき、なぜ備前、備後などのように前・後ではなく上総、下総と上・下に分かれたのか。 (2)なぜ南が上総で北が下総なのか。 お尋ねの件について調査したところ、(1)については分割の年代が前・後より上・下の方が古いため、(2)については当時の交通ルートにより、都に近い方から上・下と名付けたとありました。 調査した資料の詳細は以下のとおりです。 『千葉県の歴史 通史編古代2』【資料1】p53「一般的には、房総のように上下に分かれる国の方が、前後に分かれる国(備前国と備後国など)よりも古い形態と考えられるから、現在のところ、『常陸国風土記』の総領の系譜を引く「国宰(くにのみこともち)」とよばれる人びとが派遣され、彼らによって、天智朝頃に上下に分割されたと考えるのが妥当であろう。分割後の名称は、大和の藤原京から東海道をくだってきて、相模国から浦賀水道を渡って房総に入ったと
諸説あるようです。 江戸時代、将軍に謁見できない「御目見(おめみえ)以下」である御家人のことをからかって、 旗本の子が「以下」と言ったことに対して、御家人の子が「タコ」と言い返したことからきた、 という説などが確認できました。 1 「以下」に対して「タコ」と言い返したことからきたという説について 下記(1)の図書に詳しく書かれていました。 「タコ」と言い返した話の出典は(2)のようです。 また(4)にも類似したエピソードが載っています。 (1)『知って合点江戸ことば 文春新書』 大野敏明/著 文藝春秋 2000.12 p.32~35 似ていなくても「タコ」 「旗本の子どもたちは御家人の子どもたちをからかって「以下」という。」 「御家人の子どもたちも」(中略)「旗本の子どもを「このタコ」と言い返す」 「それが転じて、身分の上の人をあざけって「タコ」「タコ野郎」というようになり、 江戸一般の罵
一口に「食の違い」と言いましても様々なものがあるかと思います。また、関西と関東とはどこを指すのか、どこで線引きするのかも難しい問題ではないでしょうか。上記を踏まえて調査いたしましたところ、下記資料が参考になるかと思いますので、ご紹介いたします。 『東京と大阪・「味」のなるほど比較事典』宮本又次著、文芸春秋 味の好み、料理法、食べ方、呼び名など、東京と大阪の違いとその背景について書かれています。一例といたしましては、関東は濃口醤油、関西は淡口醤油が主流と言われますが、その背景について「では、関東ローム層に覆われた東京の土地では、どういう現象が起きるのか。地味に優れず、加えて荒川水系の水質も良くないために、野菜が育ちにくい。味は劣る。そこで、東京では醬油をドバッと使って、野菜を煮つめることになる。味を醤油でごまかし、色も黒っぽくしてしまう。近辺でとれる魚は、大味な赤身魚で生臭い。これもまた、醤
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