こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。今は「鎌倉殿の13人」に夢中…。 今日の夢中は、東国の王者・源頼朝死す…鎌倉「源頼朝の墓」へ。さまざまな説のある頼朝の死因についても掘り下げます。 (源頼朝の墓/鎌倉) ■頼朝死す それは、突然訪れました。源頼朝死す…。 最大の敵・平家を滅ぼし、源氏一族のライバルたちを亡き者とし、自身の権威を盤石なものとした源頼朝。 建久3年(1192年)、念願の征夷大将軍に任じられ、名実ともに東国の王者となりました。 晩年は、長女大姫や次女三幡姫の入内政策に奔走しました。 東国の支配を盤石なものとした頼朝は、朝廷との連携によって、さらに西国での権威も得ようとしたのです。 しかし建久9年(1198年)12月、頼朝は相模川で行われた橋供養からの帰路で体調を崩します。 原因は落馬と言われますが、真