昨日の絵本のツイートで日本の占領地における資源収奪の雰囲気を伝えましたが、87年前の今頃、1933(昭和8)年10月発行の日の出付録「世界に輝く日本の偉さはここだ」では、もっとえげつない意識が。「金や石炭が満州からどんどん出て、今… https://t.co/3oQdnzDCM5
いつも小杉湯にお越しいただき、誠にありがとうございます。今日は、いつも小杉湯に通ってくださるみなさまにお手紙を書かせていただきます。 実は、私たち小杉湯は、2024年春、原宿に2店舗目「小杉湯原宿(仮称)」を出すことになりました。場所は、神宮前交差点に開業する商業施設、東急プラザ「ハラカド」の地下1階です。 高円寺の街と共に90年。一度も建て替えることなく、変わらぬ門構えで数えきれないお客さまをお迎えしてきました。小杉湯で働くスタッフはみな、とにかく高円寺という街が大好きです。「中央線カルチャー」と称される独特の文化。どんな人がいる街か?と聞かれたら、「どんな人でも受け入れてくれる街」と答えたくなる。大きな商業施設はなく、小規模なお店が立ち並ぶ、ローカルでニッチなこの土地。この街を愛し、愛され、この街と共に、小杉湯は続いてきました。 私たち自身、高円寺以外の土地で銭湯を経営するだなんて考え
死のかたちから見えてくる人間と社会の実相。過去百年の日本と世界を、さまざまな命の終わり方を通して浮き彫りにする。第12回は1933(昭和8)年と1934(昭和9)年。プロレタリア文学の旗手と大正ロマンの美人画家、破滅型の落語家である。 小林多喜二 ■1933(昭和8)年 拷問を描いた作家は拷問で死んだ 小林多喜二(享年29) 『蟹工船』で知られる作家・小林多喜二の出世作は『一九二八年三月十五日』である。昭和3(1928)年に、日本共産党員らが大量検挙された3・15事件を描いたもので、特高(特別高等警察)による拷問シーンなどが注目された。このことはのちに小林を死にいたらせる悲劇につながるが、ともかく彼はこの作品でプロレタリア文学の旗手となった。この時点ではまだ、大正デモクラシーの余波で左翼的な活動にもそれなりの勢いがあったのだ。 蟹工船 秋田県の小作農の家に生まれた小林は、北海道の小樽で事
いつも小杉湯をご愛顧頂きありがとうございます。 今回のテーマはずばり「混雑と小杉湯」! 「小杉湯は好きだけど、いつも混んでるんだよなあ...」 店頭、Google Review、SNSなどでたびたび寄せられるこんな声。小杉湯に来てくださる方が多いという嬉しい証拠でもある一方、十分に疲れが取れなかったかなと心苦しく思うこともあります。 小杉湯は時間帯によって本当に様々な表情を見せます。沢山の人でにぎわう時間もあれば、静かに、穏やかに時が過ぎていく時間帯もあります。そして、にぎやかなお湯にも、しずかなお湯にも素敵なところはあります。 だけど、小杉湯のモットーのひとつは、 「開くのではなく、誰に対しても閉じない場所である」 ということ。静けさの中で落ち着くお客様に対しても、小杉湯という場を閉じたくない。 時間によって全く違う表情を見せる小杉湯だから、ご自身に合う時間帯で、もっと皆様に気持ちよくお
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