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辰巳用水の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 子供歌舞伎「辰巳用水民之礎稲葉左近館之場」 - 金沢おもしろ発掘

    金沢 曇り、今は曇ってますが、この後晴れてくる予報です。 小松市の子供歌舞伎を観てきました。300年以上の歴史を持つ伝統芸能です。毎年5月のお旅まつりの際に、曳山子供歌舞伎が上演されています(笑) 江戸時代初期の小松の町人、板屋兵四郎が金沢の辰巳用水の工事を請け負ったことによる苦心と、金沢城の秘密を知って追われるという筋書きの歌舞伎です。 1631年(寛永9年)、金沢城で大火が発生しました。この大火をきっかけに、三代藩主・前田利常公は金沢城下町への安定的な水供給を目的として、辰巳用水の工事を計画しました。辰巳用水の工事は、小松の町人・板屋兵四郎に命じられました。兵四郎は優れた技術者であり、輪島の尾山用水や春日用水の工事にも携わっていました。 【撮影場所 石川県小松市:2024年05月11日 OM-D E-M10】 ランキング参加中でもう一押しお願いします

      子供歌舞伎「辰巳用水民之礎稲葉左近館之場」 - 金沢おもしろ発掘
    • 辰巳用水石管の再生「石川県立歴史博物館」 - 金沢おもしろ発掘

      金沢 曇り、この後あめの予報ですが、まだ降ってません。 辰巳用水石管の再生は、石川県立歴史博物館では全館完成にあたり、設計を京都大学教授・川崎清博士に依頼し、辰巳用水に使用された石管の再生と、豊かに用水を流れる水を表現して記念の造型されたそうです。ここに使われている縁石および瓦は、赤煉瓦棟創建時の用材で、冬囲いに覆われ水流れてませんでした(笑) 【ウィキペディア引用】辰巳用水(たつみようすい)は、石川県金沢市を流れる約11kmの用水路。三代加賀藩主前田利常の命により、1632年(寛永9年)に板屋兵四郎が完成させたといわれている。疏水百選の一つ。一部が国の史跡に指定されている。 kanazawa10no3.hatenablog.com 犀川上流の金沢市上辰巳より取水し、約4kmの導水トンネルを経て小立野台地に出た後、兼六園の園内の曲水となる。かつては、導水管を用いて外堀をくぐらせ金沢城内に水

        辰巳用水石管の再生「石川県立歴史博物館」 - 金沢おもしろ発掘
      • 子供歌舞伎「辰巳用水民之礎」 - 金沢おもしろ発掘

        小松市子供歌舞伎で上演される「辰巳用水民之礎稲葉左近館之場」は、金沢城に水を引く辰巳用水の工事を請け負った板屋兵四郎が、城の秘密を知ったため追われるという筋書きの歌舞伎です。 【撮影場所 小松市お旅祭り:2024年05月11日 OM-D E-M10】 ランキング参加中でもう一押しお願いします

          子供歌舞伎「辰巳用水民之礎」 - 金沢おもしろ発掘
        • 市民が暴いた、「一滴も使わない水」に34年間で3億2200万円を支出していた金沢市の膨大な無駄 【川から考える日本】加賀藩の遺構「辰巳用水」を守った住民たちの戦いの記録 | JBpress (ジェイビープレス)

          辰巳ダムは、金沢市中心部から車で約30分走ると見えてくる。緑が繁茂し、ダムの壁が見えなければ、そこがダム湖だとは気がつかない(冒頭写真)。石川県による最初の構想では、ここを水没させたうえで、文化遺産「辰巳用水」の取入口も破壊するはずだった。その計画は、住民による情報開示請求と住民監査請求で打破された。それはどんな運動だったのか。約40年に及ぶ辰巳ダム建設反対運動の記録集「うつくしき川は流れたり」(2019年発行)を手がかりに、運動を担った人々に話を聞いた。 破壊されかけた文化遺産「辰巳用水」 辰巳用水。それは、加賀藩主のもとで江戸時代に築造された。金沢城の「辰巳」(東南)方向から流れる犀川(さいがわ)から取り入れ、河岸の台地の縁を掘った隧道(ずいどう)を流れる。約9キロ先の日本三名園の一つ「兼六園」に水を引く用水だ(下記写真参照)。 400年以上にわたって自然地形と標高差だけで水が届く、こ

            市民が暴いた、「一滴も使わない水」に34年間で3億2200万円を支出していた金沢市の膨大な無駄 【川から考える日本】加賀藩の遺構「辰巳用水」を守った住民たちの戦いの記録 | JBpress (ジェイビープレス)
          • 市民が暴いた、「一滴も使わない水」に34年間で3億2200万円を支出していた金沢市の膨大な無駄 【川から考える日本】加賀藩の遺構「辰巳用水」を守った住民たちの戦いの記録【JBpressセレクション】 | JBpress (ジェイビープレス)

            JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2024/07/19)※内容は掲載当時のものです。 辰巳ダムは、金沢市中心部から車で約30分走ると見えてくる。緑が繁茂し、ダムの壁が見えなければ、そこがダム湖だとは気がつかない(冒頭写真)。石川県による最初の構想では、ここを水没させたうえで、文化遺産「辰巳用水」の取入口も破壊するはずだった。その計画は、住民による情報開示請求と住民監査請求で打破された。それはどんな運動だったのか。約40年に及ぶ辰巳ダム建設反対運動の記録集「うつくしき川は流れたり」(2019年発行)を手がかりに、運動を担った人々に話を聞いた。 破壊されかけた文化遺産「辰巳用水」 辰巳用水。それは、加賀藩主のもとで江戸時代に築造された。金沢城の「辰巳」(東南)方向から流れる犀川(さいがわ)から取り入れ、河岸の台地の縁を掘った隧道(ずいどう)を流れる

              市民が暴いた、「一滴も使わない水」に34年間で3億2200万円を支出していた金沢市の膨大な無駄 【川から考える日本】加賀藩の遺構「辰巳用水」を守った住民たちの戦いの記録【JBpressセレクション】 | JBpress (ジェイビープレス)
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